辞める勇気。「仕事ひと筋、会社大好きだった私が退職するまで」

重盛加世 2回目

〈クウネル・サロン〉新プレミアムメンバーのKayoさんこと重盛佳世さんの2回目の記事です。会社大好き!だった仕事一筋Kayoさんが、会社を辞めることになった顛末記。「あんなに会社に執着していた」のに、さて、どうして離れることになったのでしょう?

サラリーマン時代、とにかく私は仕事が好きでした。

会社を愛しているが故にいつも一生懸命。理想を追い求めて過ぎて、現実との間で苦しむことも多々。一番こたえたのは、私がコツコツと積み上げてきた編集者や外部スタッフからの信用を、会社の方針転換により裏切るかたちになってしまったこと……。日々悶々と悩む私はストレスやプレッシャーに押しつぶされて病気になり、最終的には退職することとなりました。

その退職に至るまで、どれだけ葛藤したことか!好きだった会社を辞めざるを得ない敗北感と、大学卒業後からずっと続けてきた(毎月お給料をもらえる)サラリーマンを辞めることへの恐怖を感じていたのです。でも、ある編集者さんからのひと言で、会社を辞める決心がついたのでした。 

重盛佳世 2回目
モヤモヤが晴れない心の中。

その病は突然やってきました。いつものように会社のデスクで仕事をしていたら、地震が起こったかのように揺れ始め、その後、世界が回って床に倒れこみました。倒れてもグルグル回り続けて……。そのまま病院に搬送。三半規管がおかしくなったようで、しばらくは寝たきりの生活が続きました。

その後少し回復するも、やはり真っすぐに歩くことができず、しばらく長野の実家で療養することに。平和で、あっけらかんとした家族の元で生活していたらすぐに回復! 私は治ったと喜んで東京に戻り、会社も半日ずつ慣らして出勤することにしました。

重盛佳世 2回目
実家療養中によく歩いた散歩道。

しかし、やはり1週間も経たずしてめまいが再発。主治医から、「これ以上この仕事を続けていたら、通常の生活もできなくなるよ!」と強く忠告されたのでした。会社に強く執着していた私のような人は、これくらいの状況に追い込まれないと断ち切れなかったのかもしれません。

なかなか病状が回復しないなか、どうしたものか?と仲の良い編集者さんに相談したところ、「とにかくおいしいもんを食べて、元気つけな!」とご夫婦で家の食事に迎えてくれました。奥様の愛情のこもったお料理と、ご夫婦との他愛もないおしゃべりで心もお腹もいっぱい。駅まで送ってくれた帰り道、駅に近づくにつれ、いつもゆるい話しかしていない彼の口調が真面目になってきて、急に立ち止まってこう言ってくれたのでした。

重盛佳世 2回目
心のこもった料理は弱った心に沁みます。

「もうそんなに頑張らなくてもええやん!僕ら(編集者たち)は重盛が大手のG社(私の元会社)にいたから付き合ってきたのではなく、むしろあなたがいたからG社と付き合ってきたんだよ(笑)。あの会社を辞めたからって僕らの関係は変わらない。重盛がどこに行っても応援するから!」と。

それを聞いた瞬間、私は肩の力が抜け、急に熱い涙が溢れてきました。
「そうか、もう会社を卒業してもいいんだ!」 
そしてその翌日、私は人事課に足を運び、退職手続きを取ったのでした。

PS)その編集者さんは「今のお前があるのは、俺のお陰やで~!」と言い続けています(笑)。


kayo’ s message 】

We are all on your side!
みな君の味方だからね!

こんなことを言われたら、グッときちゃいますよね。落ち込んでいたり、自信を失っている人には、こんな言葉をかけてあげるといいですよ。(*個人で言うならI am on your sideに!)

あたたかい光に包まれたように涙があふれます。

●重盛佳世さん、これまでの記事
40代で生き方大転換。「必死でまとめた英語ノートがきっかけで、人生が動き出しました」

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