フリーの建築家として活躍する<クウネル・サロン>プレミアムメンバーの井手しのぶさん。昨年体験した、大切な愛犬との別れについてのレポートをシリーズでお届けします。
ライフステージに合わせて家を住み替えること、なんと7軒。鎌倉の山の上に理想的な土地を見つけ、自由な独り身の「終の住処」と心に決めて設計した現在の住まいを訪れたのは、昨年10月末のこと。
・・・
光と風が抜ける素敵なお宅で出迎えてくれたのは、井手さんの相棒、フレンチブルドックの昌夫くん。10月頭に脳腫瘍で倒れたものの、放射線治療と井手さんの手厚い介護で持ち直したところでした。ところが11 月に容体が悪化、残念ながら9歳で虹の橋を渡りました。
・・・
子供の頃から常に犬のいる暮らしを続けてきた井手さんですが、歴代の愛犬の中でも「特別な存在」だったという昌夫くんとの別れから約半年。悲しみの中、前に進み始めた井手さんのもとを訪ねました。
唯一無二の相棒を突然失い、放心状態に
「まーくんって、チャックを開けたら中におじさんが入ってるんじゃ?って思うくらい感情が豊かで、ちょっとしたことで怒ったり笑ったり、独特のキャラクターで、特別なつながりを感じていました。
子育てや仕事が一段落した頃に迎えたこともあり、関わり方も濃密だったのかもしれません。私の生活からまーくんがいなくなるなんて考えてもいなかったので、亡くなってしばらくは、パニックのような状態になってしまったんです」
不調の原因は脳腫瘍。治療のために奔走した日々
昨年10月の取材では、週に一度、昌夫くんの放射線治療に通いつつ、犬のためのお灸やマッサージを習得し、ご飯も地方の精肉店から取り寄せた食材で手作りするなど「昌夫くんファースト」の生活をしていた井手さん。
「元気だったまーくんの具合が悪くなったのは昨年の8月頃。不調の原因が分からなくて、治療法を求め右往左往しましたが、セカンドオピニオンで訪ねた病院でMRIを撮ったら脳に大きな腫瘍があることが判明。脳圧を下げるため10月頭に入院し、退院後も週に1度放射線治療に通う闘病生活が始まりました。
この生活がしばらく続くと思っていたので仕事もセーブ。何かあった時に車が運転できるようお酒も控え、できることはなんでもやろうと覚悟を決めていました。
腫瘍が大きかったので、根治は難しいと言われていたのですが、一回目の放射線治療の後、お医者さんも驚くほど元気になったこともあり、このまま治療を続ければなんとかなるんじゃないかと、希望の光が見えた気がしました。
当時はまーくんの治療のことで頭がいっぱいで、友達から『そんなに前のめりじゃまーくんも大変だよ』って言われても、常にまーくんのために何かできるんじゃないかってノイローゼみたいになっちゃって」
「大丈夫だよ、もう楽になっていいよ」と告げたお別れ
しかしその後は思うように治療の成果が出ず、昌夫くんの体調は徐々に悪化。11月のある日、失禁してパニック状態になってしまったため病院へ行くとそのまま入院となり、3日後に息を引き取りました。
「入院したら1日か2日で調子がよくなって帰ってくると思っていたんです。でも亡くなる日の午前中に会いに行ったら症状が悪化していて、痙攣に苦しむまーくんの姿を目にし、もう無理なんだと悟りました。その時まーくんが私の目を見たので、『大丈夫だよ、お母さんは平気だからもう楽になっていいよ』と伝えました。
その後まーくんが好きなおやつを取りに家に戻ったのですが、病院からすぐに来てくださいと電話があり、駆けつけるともう息をしていませんでした。私が大丈夫って伝えたことで、安心して逝っちゃったのかな」
介護に奔走する日々が突然終わり、何をしたらいいのか分からず、しばらくは呆然自失状態だったという井手さん。落ち込む母を案じる息子さんの勧めもあり、次第に新しい相棒を迎えることを考え始めます。(次回に続きます)
井手しのぶさんの連載『【60歳、女ひとりのお金と暮らし】はこちら
●vol.1【60歳、女ひとりのお金と暮らし】ライフステージに応じて7軒住み替えたパワフルな女性。次なる変化は自分自身?
●vol.2【60歳、女ひとりのお金と暮らし】マイペースに仕事しながら畑仕事を楽しむ。悠々自適な暮らしの土台にあるもの
●vol.3【60歳、女ひとりのお金と暮らし】55歳で立てた老後の資金計画。心配性だからこそ、先回りして早めに準備
取材・文/吾妻枝里子