好きがこうじて、 新しいこと始めました。好奇心のアンテナを磨いて、新しいことにチャレンジし始めた素敵な人のストーリーをご紹介。
重松久惠/しげまつひさえ
中小企業診断士、東洋大学大学院非常勤講師
ファッション雑誌の編集、デザイン会社などでマネジメントを経て現在に至る。旅と料理、手仕事をこよなく愛す。好奇心旺盛で思い立ったことは即実行。行動力あふれる66歳。
「自分が機織りをするようになるとは夢にも思いませんでした」
実は、60歳になるまで、自分で手作りすることには全く興味がなかったという重松久惠さん。
「だから自分が機織りをするようになるとは夢にも思いませんでした。ただ、 母が何でも作る人で実家に小型の機織り機があり、趣味で布を織る姿を見て育ちました」
機織りに興味を持つきっかけとなったのは、2年前に取材で訪れた岡山の「倉敷本染手織研究所」でした。研究所は、倉敷民藝館初代館長の故・ 外村(とのむら)吉之介が昭和28年に開設。
織り機の台数と同じ9人の女性だけが入学できる小さい学校。研究生はここに1年間住み込み、染織の基礎を学びます。
「伺った話の中で印象的だったのが、 かつて機織りは生活の一部で、女性が家族のために布を織ることは特別ではなかったこと。研究所は作家育成や趣味の染織ではなく、生活に根ざした物作りをする工人を育てる場であること。民藝の精神に則った考え方が、私の心に強く響きました」
倉敷から戻ってほどなく、仕事でお付き合いのある山梨県産業技術センターの方から、廃棄される生地のミミを再利用できないかとの相談がありました。同じ頃、中小企業診断士としてヘアゴム製造の会社を訪れたとき、ゴミ用トラックに大量に積まれたB級品のヘアゴムの山を見かけ……。
「まだ使えるものを廃棄するのは、あまりにもったいなく。何とか料理できないか、と考え、繋がったのが倉敷の機織りの風景でした。機織りは未経験でしたが、生地のミミや切れ端は裂き織りにしたら面白いと思い、すぐに通販で機織り機を購入。説明書を見ながら見様見真似で織ってみたら、ものすごく楽しくて、すっかりハマりました」
\手作りの作品たち/
もともと裂き織りは古くなった布を紐状に裂き、横糸代わりに使うリサイクル精神から生まれた、今の時代に合ったもの。廃棄寸前のゴム紐も機織りでほどよい伸縮性を持つ生地に生まれ変わり、商品を開発中。仕事のリサーチと趣味を兼ねた機織りタイムは重松さんの心落ち着く至福のひとときに。
70歳になったら一度東京を離れ、3年待ちといわれる「倉敷本染手織研究所」で本格的に染織を学ぶことを計画中。
「ゆくゆくは手仕事が好きなお年寄りたちが、楽しみながらささやかなお小遣いが得られるような場を持つことに、 取り組みたいと思っています」
『クウネル』2022年7月号掲載
写真/森泉 匡、取材・文/高橋敬恵子、齋藤優子、船山直子