【島田順子さん80年の軌跡vol.6】島田さんが語る、長いデザイナー人生のこれまでとこれから。

島田順子 生き方

ファッションはそれぞれの時代の流行に左右されるもの。どんな人生を過ごしてきたら、年齢を重ねてもなお魅力的なデザイナー・島田順子さんのような女性になれるのでしょうか。パリコレ参加40周年、そして80歳のお誕生日を迎えた島田順子さんの軌跡を辿る企画第6弾です。

気がついたら40周年。これからも前を向いて……。

ヌーヴェルヴァーグ映画に憧れてパリに渡り、プランタンの研修室やデザ イナー集団「マフィア」、「キャシャレル」のチーフデザイナーなど、ファッションの世界でさまざまな経験を積んで独り立ち。1981年に「JUNKO SHIMADA DESIGN STUDIO」 を設立してから40年が経ちました。

「もうね、正直言ってぞっとしていま す。知らないうちにコレクションの回 数が増えて、どんどん年月が過ぎていき、気づいたらもう40年なの?という感じ。ついこの間始めたような気がして、全然実感がわかないのよ。私の意識には半年ごとのシーズンの感覚はあるんですが、時の刻みはあまりないんです。だから40年も経ったことに『嘘でしょう?』と腰を抜かしています。

過去にはいいことも悪いこともあったけれど、あまり振り返らないようにして、ずっと前を向いて歩いてきました。過ぎ去ったことを思い返しても、反省や後悔ばかりが浮かんできて、幸せになれないから。次はどんなことが起こるだろうと期待をしながら、今も前を向いてコレクションを作っています」

「49AV.junko shimada」が注目を集めた80年代、いわゆるボディコンシャスブームが起こりました。島田さんの服もそういった目で見られた時期がありましたが、女性の身体のラインをより美しく見せるにはどうすればいいか、と考えた結果のデザインでした。

「私がベーシックな服が好きなのはずっと変わりません。ファッションの仕事を始めた頃は、白いシャツやTシャツ、デニムと、気楽に着られてどこへでも行ける服の時代だったから、幸せでした。だからトレンドを追いかけたり、話題性のある派手な服を作ったりすることに興味は薄かったのだけど、 バブルの勢いに押されてそれどころではなかった。あの頃は、ある意味自分の心を置き去りにしていたのかもしれ ません。

けれど今、自分が原点に戻った感じがします。これからは自分らしいもの、これまで培ってきたものを表現していきたい。もうここまでやったのだから、この先は思うようにやっていいんじゃない? という心の声が聞こえてきます」

そのときは作りたい気 持ちそのままを表現したものではなかったとしても、振り返ってみると少しずつ着実に島田順子スタイルのものづくりが形成されて、ここまで到達した歴史があります。

『ku:nel』2021年9月号掲載

写真 Ylias Nacer(島田さん) /取材・文 綿貫あかね /協力 中西千帆子、島田今日子/編集 黒澤弥生

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