【フランスマダムの離婚物語】悲しみの先に見つけた、自由で気ままなシングル暮らし。

Kay Bourgine

家事と子育てに追われた30代。40代で「ジャズ」との運命の出会いを果たし、日々輝きを増す彼女に、予期せぬ突然の別れが訪れました。そんな彼女が深い悲しみを乗り越え、今を楽しむことができている理由を伺いました。

Kay Bourgine

ケイ・ブールジン

ボストン生まれ。アメリカ人とフランス人のハーフ。コロンビア大学を卒業後、モデルになって 22歳でパリへ。33歳で結婚。23歳と18歳の息子と暮らす58歳。

ジャズ・シンガーのケイ・ブールジンさんは58歳。5年前、夫から突然「離婚してほしい」と別れを告げられました。「20年も連れ添った彼がそんなことを考えていたとは……。はっきり言わなかったけど、好きな女性ができたみたいです。あまりの衝撃に1年半ぐらい立ち直れませんでした。音楽と友だちがいなければ、 暗闇から抜け出せなかったと思います」。ケイさんはもともとボストンで生まれ、 大学を卒業するまではアメリカで暮らしていた女性。卒業後にモデルの仕事を始め、エージェントからキャリアのためにとパリ行きを勧められました。“祖母が住んでいるから〞という気軽な気持ちで渡仏。以来、36年間パリで暮らしています。

「ニューヨークではダンスも勉強していたので、パリでは歌番組のバックダンサーをしたり、ジャン・パトゥのアジアでのトランクショーでモデルを務めたり。その後、女優を目指して演劇学校にも通いましたが、輝かしいキャリアを築くまでには至りませんでした」

別居から離婚まで5年かかった。

そんな最中、24歳で知り合った医療機器の営業をするフランス人の男性と、9年の交際を経て33歳で結婚しました「それまでとは生活ががらりと変わりました。仕事は二の次で家のことをする時間が長くなりました。そうこうするうち、出産が続き、子供がふたりになったのを機に郊外の大きな家に引っ越したんです。30代の残りの時間は、子供中心の生活。夫はその頃、海外出張が多く、私は学校や習い事の送り迎え、ボランティアとして子供の学校で英語を教えたり、アートの宿題を手伝ったり。思い出すのは、子供を乗せて車を運転していたことだけよ」。そんな生活に変化が生まれたのは、何年か経って子育てが一段落した頃。

「友だちに誘われ、歌のレッスンを始めたんです。子供の頃は、コーラス部に入っていたんですよ。4年ほど勉強して、 少し自信がついた頃、歌を仕事にしていけたらと考えるようになりました」。思いきって46歳で音楽学校に入学。音楽にのめり込み、子育てをしながらも、 音楽にかかわる時間が増えていきました。ケイさんは自分で曲を作り、ジャズのグループを結成したのです。 「シッターを雇って時間を作り、ジャズのコンサートを開いていました。音楽が好きなのはもちろん、とてもやりがいを感じたんです」。でもケイさんが輝きを増していく姿は、夫には違うものに映り、突然の決別宣言。「 53歳で別居をし、その後は弁護士を通じてのやり取りが5年近く続いて、ようやく半年前に離婚が成立しました」。 別居後、養育費は受け取っていたものの、子供ふたりを引き取ったケイさんの生活は楽ではありませんでした。

久しぶりに自由に暮らし、まるで25歳に戻ったよう。

「経済的に大変で、彼とは3年ぐらい話をする気にもなれませんでした。大きな家から小さな部屋に引っ越さなければいけないのも悲しかったし、それまで持っていた服や家具、絵画といった多くの荷物も処分したんですから。でも次第に悲しみより、心の軽さを感じるようになり、 自由が快適になりました。次に恋人と一緒に生活できるかはわかりません。久しぶりに自由に暮らし、まるで25歳に戻ったよう。だって毎晩、友人とのコンサートやディナーを楽しめるんですから」

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『ku:nel』2016年7月号掲載
撮影 篠あゆみ/コーディネート 石坂のり子/取材・文 今井 恵

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