【フランスマダムの離婚物語】「絵に描いたような幸せ」から一転。周りに支えられ、新たに掴んだ幸せ。

”アムール(愛)”の国フランスでは、離婚が日本より身近。そんなフランスの離婚にまつわるストーリーをお伝えします。最初のマダムの離婚後に待ち受けていた困難は、子育てと経済面。人間関係を大切することで、周囲からの支えやチャンスを得られることも。子どもたちと仕事、新たな生活に真摯に向き合うフレデリック・ダールギーさんのインタビューをお届けします。

Frédérique Darleguy
フレデリック・ダールギー さん

南仏地方出身。28歳、24歳の娘、18歳の息子がいる。23歳で結婚し、43歳で離婚。現在56歳。

学生時代の恋人と、23歳のときに結婚したフレデリック・ダールギーさん。仕事はファッションブランドのマーケティングや買い付けで、夫は建設会社の営業マンでした。彼は30歳目前で独立して、自分の会社を立ち上げた野心家。ふたりの娘と息子が生まれ、20区に一軒家も購入と、絵に描いたような幸せな生活でした。

「子供が生まれたので私は会社を辞め、短時間の仕事に変わり、子育てを優先させていました。若い頃からずっと一緒の彼ですが、年月のせいか、少しずつ互いの価値観がずれてきたんです。一番大きかったのは、彼が優先する仕事を通した人間関係。私はそれをどうしても大切とは思えなかった。まさか別れるとは思っていませんでしたが、ある日、経済的理由、惰性で彼と一緒にいる自分に気づき、離婚を決意しました」

43歳での離婚当初、元夫は不景気もあって会社が倒産寸前。養育費や慰謝料を期待することはできませんでした。

離婚で子供が傷つくのが怖かった。

「買った家だけはどうしても手放したくなかったので、子供を育てるための生活費を稼ぐため、私がフルタイムで働く選択肢しかありませんでした」
とはいえ、ブランクはあるし、年齢的にも不利。すぐに納得できる仕事が見つかるはずもなく、派遣の販売員になってまずは日々の生活費を作ることに。

「贅沢など言っている場合ではありませんでした。販売員をしながら、もっと条件のいいところはないか、昔の知り合いのつてをたどっていたところ、日本でもブーツが大人気の『SARTORE』を展開するオーナー姉妹に再会したんです」

事情を知ったサルトル姉妹の妹フランソワーズさんが、インターナショナルの営業担当にと、声をかけてくれました。「リュクスで高品質、美しい製品に携わる仕事ができることが本当にうれしかった。仕事の内容は今までやったことがなかった分野だったので、かなり努力が必要でした。でも私は何より幸運でした」

その一方、子供たちの心の傷も気がかりで……。「親の離婚を経験した子供は、その事実を認めることも難しいし、原因が自分のせいではないか?と考えて傷つく場合もあります。幸い私の子供たちは母親ががむしゃらにがんばる姿を見て、自分たちもがんばろうと。長女は一生懸命勉強をして成績を伸ばしながら、下のふたりの面倒をみて、私をフォローしてくれました。子供は親の姿を見てくれているんだなあと、とてもありがたく感じましたね」

新恋人とそれぞれの子どもとの関係

その後、フレデリックさんに恋人ができたときも、双方の子供たちへの気遣い、距離感を最優先に考えました。

「最初は彼の子供たちに受け入れてもらえず大変でした。だから彼と話し、恋愛より子供たちとの生活を優先することにしたんです。おかげで今では双方の子供同士が仲良くなり、一緒にバカンスにも行くし、子供たちだけで旅行に行くほど。新しい彼は元夫と正反対の多趣味な人で、私に新しい世界を次々に見せてくれる。若い頃より、今の方がプライベートな時間を思い切りエンジョイしています。でもお互いの家はキープしたまま。今後も互いの家を行ったり来たりでいいと思って。彼とは、将来的に一緒に小さなビジネスが展開できればと思っています」

『ku:nel』2016年7月号掲載
写真 篠あゆみ/コーディネート 石坂のり子/取材・文 今井 恵

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