デザイナー・島田順子さんを仕事でも、時にはプライベートでもサポートする3人の仲間。前回に引き続き、島田さんと長い付き合いだからこそわかる魅力を聞きました。
島田今日子
「JUNKO SHIMADA」ディレクター。2000年「JUNK by JUNKO SHIMADA」、2012年「Lavalliere」を経て、2020年より現職。
中西千帆子
「JUNKO SHIMADA」PR 担当。traffic所属。「JUNKO SHIMADA」プレス業務を経て1992年フリーランスでPR活動開始。2007年より現職。
江藤扶美
「JUNKO SHIMADA」企画チーフ。1986年より「JUNKO SHIMADA」に加入。1990年にチーフパタンナーに。2010年より現職。
●Question1
仕事の場でもう少しこうしてほしいという要望はありますか?
中西さん(以下、中) たとえば取材のときに、皆さんからの要望とか事前に詳細が決まっていても、順子さんは感覚の人で自分の時間軸で動いているから、その通りにいかないことが起こると、ドキドキするときはあります。でも、できないとかやらないではなくて、自分がベストの状態でいなくてはいけないとか、今優先させることはこれじゃなくてこっちと、しっかりとした理由があるんです。
江藤さん(以下、江) わかります。順子さんはどうしてもベストなところに持っていきたいので、 トワルチェックとか、私が見せれば見せるほど変わっていく。タイムリミットがどこなのか、毎回見極めが難しいんです。でも順子さんの修正した服は必ず人気が出るので、やっぱりそこは島田順子の島田順子たる所以。順子さんが修正したい部分をどこまで生かせるかというのは、クリエーションとビジネスの間でいつも悩むところです。
今日子さん(以下、今) 折り合いの付け方?
江) そう。私一人で決められることではなくて、生産や工場など多くの人が関わってベストなポイントを決めますが、そのときに皆わかり合えてギリギリのところまで頑張ろうとします。
中) 順子さんのものづくりを皆が理解しているからできることですよね。
大人の女性を代表するおしゃれアイコン
●Question2
これから順子さんにどんな生き方を望みますか?
中) 今まで通りでいてほしいという気持ちが半分。でも今月(7月7日が誕生日)で80歳になられたし、今日子ちゃんがフランスと日本の両方を見てくれることになりましたので、少しゆっくりしてほしい気持ちも半分。
今) 私ももう少しのんびりしてほしいです。私を含め、皆にいろいろなことをもっと伝えてほしいし、新しいことにもトライしてくれれば嬉しい。たとえばアートとかインテリアデザインとか、そういうファッション以外のものづくりに時間を割いてほしいですね。
江) 今のままエネルギッシュに活動して、好きなことをやっていただきたい。
今) さらにエンジョイしてほしいよね。
中) 引退する人が多いなか、ずっと第一線に居続けているのもすごいですが、 人としてもまだまだ輝いているのがとにかく素晴らしいです。ずっと努力されているし、知りたい、学びたいと意欲的なところが、順子さんの輝き続けられる理由なんだと思います。
島田順子/しまだじゅんこ
千葉県館山生まれ。1966年渡仏。1981年「JUNKO SHIMADA DESIGN STUDIO」を設立。同年パリで「JUNKO SHIMADA」の、東京で「49AV.junko shimada」のコレクションショーを行う。以来2021-22AWでパリコレクション発表が80回目に。
『ku:nel』2021年9月号掲載
写真 Ylias Nacer(島田さん)/イラスト Shapre/取材・文 綿貫あかね/協力 中西千帆子、島田今日子/編集 黒澤弥生