用の美を見出した民藝運動。その足跡をたどり、名工の住まいを訪ねて。【京都旅/前編】
生活を彩る道具に美を見出す民藝運動は京都から始まった。京都民藝協会理事の四釜尚人さんにお話を伺いました。
教えてくれた人
四釜尚人/しかま・なおひと
京都民藝協会理事
大阪出身。大学卒業後、英国の美術史学校に留学し、現代美術を学ぶ。アンティークのバイヤーなどを経て、京都で民藝を基本とするギャラリーを開設(現在、休廊中)。伝統的な能装束の研究、復元にも取り組んでいる。
民藝運動の中核をなした、柳宗悦、濱田庄司、河井寬次郎
暮らしの中に息づく日用雑器、無名の職人たちがつくり出す生活道具、それらの飾らない天然の美しさ、「用の美」を見出した民藝運動。百年ほど前に思想家の柳宗悦、陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎らが中心となって命名した民藝運動が生まれたのはここ京都でした。
1923年に起きた関東大震災、その被害により柳宗悦は東京から京都に転居、その後約9年間を京都で暮らしました。京都在住の河井寛次郎の学生時代からの友人・濱田庄司も、当時イギリスから帰国、河井宅に滞在中でした。民藝運動の中核をなした3人は京都で活動を共にし、「民衆的工芸品」を意味する「民藝」という言葉を生み出したのです。
「キーパーソンは京都に暮らす河井寛次郎でした。河井がいなかったら、民藝運動がこれほど確固としたものとして続いていくことはなかったのでは」と語るのは四釜尚人さん。「柳たちの活動、作品を評価し、経済的なサポートをした関西の財界人が果たした役割も大きかったです」
河井寬次郎記念館
暮らしと仕事を愛した名工の家をそのまま体感できる個人美術館。
民藝運動の中心となった河井寬次郎宅が生前の姿そのままに保存された「河井寬次郎記念館」。
民藝運動の中心人物だった河井寬次郎。河井が家族とともに暮らし、また同じ敷地内の仕事部屋や登り窯で創作活動にいそしんだ家。1937年に建てたこの家を一般に公開した記念館の開館は1973年、河井の死から7年後のことだった。
2階より家の中心ともいえる居間を望む。いろりの脇に置かれたのは河井の晩年の「木彫像」。椅子や多くの家具も自らデザインした。
河井が土をこね、ろくろをひいた「陶房」。奥には「手考足思」との額。頭ではなく手や足を使ってものを造りたいという思いを書にしたものと思われる。その下には円空の仏像が鎮座する。
「暮しが仕事、仕事が暮し」を座右の銘とした河井は家の設計をはじめ、家具も自らデザイン。自作の陶芸作品や収集した品を並べ楽しんだ。孫で同館の学芸員でもある鷺珠江さんは「表現者としての葛藤はあったと思いますが、それを外に出したりしない、愛情の深い人でした」と祖父を回想する。
河井の味のある書も見どころのひとつ。メインの居間には「民族造形研蒐点」との書が掲げられている。この家に人々が集まり、造形について考え語り合うことを歓迎した河井の気持ちが伝わってくる言葉だ。
河井の長女の結婚の際、柳宗悦からお祝いとして贈られた掛け軸。
「楽しみその中にあり」とのメッセージ。
70代初めのころと思われる肖像写真。
河井寛次郎記念館
住:京都市東山区五条坂鐘鋳町569
営:10:00〜17:00(入館16:30まで)一般 1,000円
休:月曜(祝日は開館、翌日休)
http://www.kanjiro.jp/
民藝運動に関する本
下の3冊は四釜さんに選んでいただいた民藝運動の意味と成果、また京都と民藝運動の関係を伝える書籍です。
『もっと知りたい柳宗悦と民藝運動』
杉山享司 監修
カラー図版が多く掲載され、「民藝運動とは何だったのかを知る入門書としておすすめです」と四釜さん。柳らが各地を歩き回って収集した手仕事の美を再確認できる。東京美術
『火の誓い』
河井寬次郎
作品制作のかたわら、多くの名文も遺した河井の随筆集。「陶芸家としてだけでなく、文筆家としての河井のファンは多く、僕も彼の言葉に感銘を受けました」。講談社文芸文庫
『柳宗悦と京都 民藝のルーツを訪ねる』
杉山享司、土田眞紀、鷺珠江、四釜尚人
京都と民藝がいかに出合い、運動として結実したかを4名の専門家が平易に解説。民藝をてがかりに京都を知り、旅するための参考書ともなる一冊。光村推古書院
『クウネル』2026年9月号掲載
写真/岡本佳樹、取材・文/船山直子
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『クウネル』NO.140掲載
旅を深める本76冊と歩く、京都。
- 発売日 : 2026年7月17日
- 価格 : 1,080円 (税込)