60代以降の「住まい」どうする?54歳エディターが「一生、賃貸でいく」と決めた理由。【メロウライフ】
エディターの山村光春さんと、エッセイストの広瀬裕子さんによる往復連載。
「60代以降に使われる『シニア』という呼び方がどうもしっくりこない」という2人が、「私たちらしい人生の後半戦」について模索します。シニアでもなく、シルバーでもなく……。だったら「メロウライフ」なんていかがでしょう?
今回は「家を買うか否か」がテーマ。シングルという同じ立場でありながら、捉え方は様々。その違いをお楽しみください。
一生賃貸で通そうと決めた、人には言わないほうの理由。
なんて、あおりぎみの息巻いたタイトルにしてみたけれど、理由だけを知りたい人は遠慮なく飛ばして、最後のほうだけ読んでください(でも、実はそんなにたいした話ではない)。
さて。作家の広瀬裕子さんと「私たちなりのシニアライフ」について、同じテーマで語る連載。僕は54歳の男性で、独身で、定年がない仕事をしている。多くの読者と異なることも多いだろうけれど、ゆえの視点や価値観を、お伝えできればと思う。
今回のテーマは「家を買うか否か」。
僕は思うに「家を買う」とは、若いうちは「夢を買うこと」だろうけど、歳をとってくると「安心を買う」ことに、やや意味あいが傾いてくる気がする。
この先、いつ働けなくなるか、動けなくなるか、さらに言うなら、いつ死ぬかわからないのに、はたして家賃を払い続けられるのだろうか、という不安。それをぬぐうために「とりあえず買っておく」のだ。つまりは、お金と一緒ですね。
でも果たして本当にそうだろうか、と思ってしまう。
まず、よく聞かされてきたのは「高齢になると家を借りられなくなるよ」という問題。働いてないと家賃の保証がない。保証人もいないから、大家さんが貸ししぶる。
これにおいては、近い将来「そんなこと言っていられなくなる」のでは、と思っている。こんなにも人口が減り、高齢化が進み、つまり家が余る。贅沢を言わなければ貸してくれるアパートくらいはあるだろうし、URなどそもそも保証がいらないところも充実している。
ってことで、この問題はパス。
そして「買うほうが生涯コストがかからない」。これは諸説あると思うけれど、僕はまやかしだと思う。さっきの話と同じく、今は不動産バブルで高騰しているけれど、いずれ価値が下がる気がする。
そうなる前に「売って儲ければいい」とも言うけれど、そもそもマネーゲームに参加したいわけではないし、買ったり売ったりのもろもろにかかる手間のほうが、僕にとってはコストに感じてしまう。
ってことで、この問題もパス。
あとは「住み慣れた家でずっと安心して過ごしたい」という気持ち。これはわからなくもないけれど、借り暮らしでもできなくはない。うちの82歳の母親も賃貸の集合住宅に30年以上いて、すっかり「住み慣れた家」と化している。しかも国の助成金で、あちこちに手すりが付けられたりもしている。
ひとつ、買う派のことを羨ましく感じるのは、自分の空間を好きにできること。ただこれも近頃は賃貸でもできるリフォームの方法もあるし、「気になる」のレベルがどこまでか、にもよるだろう(裕子さんは、きっと「気になる」が多いから大変だろうなぁ)
では表題の、人には言わないほうの理由。それは人生の「わからない」を愛し、楽しみたいから。
これからの暮らし、住まう家、すべてがお見通しだと、やっぱり面白くない。同じ船にぼーっと乗っているだけでは、ただでさえも齢を重ねて薄れていく気力と体力が、さらに削り取られていく気がする。エンジンをかけていくには、まだまだスリルとドキュメントがあったほうがいい。
これぞ!という理想の物件にめぐり会ったら、サクッと引っ越したい。
海外で仕事できるチャンスがあれば、思い煩うことなく行きたい。
誰かと一緒に暮らすことになったら、ふたりで家を探したい。
そう、僕にとって「心の安らぎ」は「心の死」を意味すると思うから。
と、人に言わないのは隠しているわけではなく、ただ賛同を得られそうにないから言わないだけなのだった。期待させてごめんね。