【猫沢エミさん・猫のようにしなやかに生きるヒント集⑥】これから先の人生をよりよく、楽しく生きるために

猫沢エミ

ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』(TAC出版)、発売されたばかりの『猫と生きる。』(扶桑社)が話題の、ミュージシャンで文筆家・猫沢エミさんのインタビューを3回に渡ってお届けします。50歳を迎えた、猫沢さんの暮らしや料理への向かい方、死生観、愛猫への思いなど、たっぷりとお話を伺います。シリーズ最終回になります。

ーー愛猫のイオちゃんと『猫と生きる。』についてのお話をお願いします。

猫沢エミさん(以下、猫沢):『ねこしき』にイオとの出会いと幸せな日々を書いたのですが、責了した翌々日にイオが亡くなりました。担当編集者が追加して書いてもいいよと言ってくれたのですが、亡くしたばかりの私にはまだ言語化するのは無理だと思ったので、そのまま出版することにしました。

今回の『猫と生きる。』の復刊のお話をいただいた時は、イオのガンが発覚する前。発覚してからはかなり進行も早く、イオを見送ってからの1ヶ月は、1日の半分は祭壇の前にいました。でも泣きながらも日々やらなくてはいけないことがあって。日常の行いに身を置いて現実に強制的に戻されていたことで、ダメにならずに済んだと思います。『ねこしき』のプロモーションでインタビューを受けている間に、ずいぶん真人間に戻ってきていると実感しました。

新刊の『猫と生きる。』には、イオちゃんのかかった扁平上皮がんの話も詳細に書かれている。

猫沢さんのベッドルームに作られた、イオちゃんの祭壇。次に出版する本では、イオちゃんとの1年半にわたる思い出やどうやって死生観を作り、死と向き合って立ち直っていくのかを書く予定だそう。

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猫沢:その辺りから『猫と生きる。』の執筆が始まって。この本は8年前に出版した本の復刊なのですが、イオの物語の章として新規原稿を書くとき、彼女を見送ってから日が経っていなさすぎて、考えがまとまるか正直わかりませんでした。でも書いていくうちに”答えを見つけなくてもいいんだ”と思ったんです。私がイオと出会ってから別れるまでの状況を思い出しながら、その都度感じたことをまずは書いてみようって。悲しい思い出の中にもう一度入っていかなくてはならなかったのは、精神的にとてもきつかったです。でもいろいろなことを忘れていない時期に、彼女との思い出の中に戻るという、修行のようなことをしたことで、私はこのときにこう考えていたんだ、これでよかったんだと思えたことなど、確認できたこともたくさんありました。執筆中はインスタグラムに克明に自分の気持ちを書いていたのですが、多くの方が自分の大切な方を亡くされた経験と照らし合わせて、エールを送ってくださったのが力になりました。

猫沢エミ
『ねこしき』に掲載されている猫沢さんの愛猫たち。左からイオ、ピガ、ユピ。
撮影:鈴木陽介

ーー改めて、8年前につけた「猫と生きる。」というタイトルが運命的な気もしますね。

猫沢:猫を飼うということは、人間の私たちよりも短命であることをわかっているのが前提なので、生きることと死ぬことも、当然セットになっています。彼らは人間と違って言葉を介さずにコミュニケーションをとるので、より深い愛着や、わかろうとする努力を積み重ねた末に別れることになり、特別な苦しみがあると思います。

私は思ったことを包み隠さずにオンタイムでSNSに書くのですが、特にイオの見送りの最終期には、とにかく自分の気持ちを言葉にして吐き出していかないと心が壊れてしまいそうでした。でも「動物を失うことは経験した人にしかわからないので、今まで人に話していなかった」というフォロワーさんが多くて、すごくびっくりしたんです。自分の考えがどうだったかを言語化しないと、良くも悪くもぼんやりと生々しい形で、ずっと心の中に残ってしまうと思うんですね。イオを拾ってから助ける過程も亡くしていく過程も、読まれた方が長文のDMやコメントを送ってきてくれることに最初は戸惑ったのですが、途中から、こういう気持ちの置き場ってこれまでは意外となかったから、私のSNSが教会の懺悔室みたいな役割を果たしているならば、これでいいんだって思えるようになりました。

猫沢エミ 
取材中ずっと側にいてくれた、おもてなし上手のピガちゃん。

猫沢:この本を通して、「めちゃくちゃ悩んで、泣いたり笑ったり、苦しんだりすることは当たり前のこと。それを人に言うことで共有するのは間違いじゃない」と思えたら気が楽になると思うし、ご自身の死生観を見つけていくきっかけにもなると思うんです。タイトルは「猫と生きる。」ですが、もしかしたら「夫と生きる。」かもしれないし、「子どもと生きる。」または人ではなく「自分の指針と生きる。」かもしれない。何かしら大事だと思って生きていることに替えて、自分の物語にしてもらえるのが理想だなとすごく思います。

ーー確かに読んだ後、自分の大切なものを思って涙が止まりませんでした。

猫沢:動物は生きている時間から亡くなるまで、私たちにその一生を見せてくれるんですよね。そのなかで紡いでいく愛は、亡くなっても消えはしないということを教えてくれる。それはきっと家族も同じで、決してその命の長さで決まるものではないと考えています。だから死は悲しみを見つめることではなく、その内側にある生をより輝かせるために、死を見つめる必要がある。特に50歳を過ぎると、今まで見えていなかった死を直視する機会がどうしても増えてくると思うんです。そのときに死生観がないままだと不安に陥って、歳を重ねていくことが怖いことのように思えてしまうかもしれない。それはもったいないと思うんですよね。ここから先の自分の人生をよりよく、楽しく生きるためにも、大切な人を見送って、それをどう捉えるか基準を持っておくことが大事だと思います。

ーー3回目でご紹介した、「大切に思ってくれている人たちを哀しませるのは、おとなのすることじゃない」という文章にも繋がりますね。

猫沢:そうですね。今回私が大事な存在を失って、苦しみや悲しみを感じたのと同じように、自分が死んだらそう感じてしまう人がいるということを、心して生きていかなければいけないと思うし、そのためにもよりよく生きたいと思うんです。まだ自分のために泣いてくれる人がいるうちは、よりよく生きていくっていうことが人としての責任。それを重く感じるのではなく、ありがたいって、愛に溢れて生きていくのがすごく大事なことだと思います。

聞き手:赤木真弓

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