【週末エッセイ】清水ミチコさんが綴る憧れの人。「矢野顕子さんが蟹なら、私はカニカマ」
愛情とリスペクトをたっぷりと注ぎ、その人になりきるモノマネが広く愛されている清水ミチコさん。「十八番」ともいえる矢野顕子さんは、清水さんの永遠の憧れ。その憧れについてエッセイを寄せてくださいました。アートとも思える「モノマネ」の秘密も明かされています。
サムライのような矢野顕子さん
昔、渋谷公園通りの山手教会の地下に「JEANJEAN(ジャンジァン)」という小劇場がありました。今はなくなっちゃったんですけど、当時は一階に見える教会の前を通って、お客さんの行列がぐるりとできるのがちょっとした名物。長い行列を見かけると「誰がやってるんだろう!よほど有名な人かな?」と、当日の立て看板をのぞきに行ったものでした。私ももちろんお客さんとして行列に並んだことがあります。早めに並ばないと座れないという200人くらいのキャパ。
なつかしいなあ。と、このあいだゲストで久しぶりに小さなライブハウスで歌ったもので、身体が当時のことを強烈に思い出しました。私は矢野顕子さんの弾き語りが大好きで、よくその行列に並んでました。
かぶりつきで見たい。特にピアノを弾く手が見たいため、「ステージに向かって左側に座りたいな」と早めに並ぶのですが、たいがいは、立ち見席の一番奥でした。
それでも演奏に満足しない日はありませんでした。天才的なピアノの技術はもちろんですが、瞬時に作曲して弾くというアドリブの瞬間が本当にスリリングで快感です。
矢野顕子さんになりたい願望は高校生時代からです。実は私は今でこそプロのように思われるかもしれませんが、モノマネをしたいなどと思ったことは一度もなく、ただその人になりたい、という欲求が勝手に内側から沸き起こるので、(ヘンタイか)感激すると、そのとたんにもう一人の私が、その人になり切ってしまってるんです。
似てるも似てないもないという状態。だいたい声すら出していないんですよ。ただ(なっている)という錯覚を起こしてるんですね。ただし困るのは、身体の奥で、その感激した人物の声がもう一人の自分として夜中も鳴り響くので、眠くても眠れないのが数日続くと参ってしまい、一度こっそり友だちに相談したことがありました。
「感動するとその人の声がうるさくて眠れない時あるじゃん、あの時どうしてる?」「ないよ。」という、世にも短い会話は今も忘れられません。ないのか。私は世の中の高校生はみんな自分と同じ快感的な苦しみを味わってると思ってたのでした。60代の今はさすがにそんな感受性も薄まってきてちゃんと安眠もできてますのでご安心ください。
「10代の衝撃はその人の一生に影響を及ぼす」と言いますが、私も彼女の演奏を聞いてヤケドした熱はいまだにズキズキして治らず、生涯の誇りの傷あととして残しています。食べ物で言えば、矢野顕子さんは蟹のような存在です。本物。私はその蟹になりたいカニカマで、常に本物になりたいとうずいてます。強い思いが岩をも通すとはこのことか、数十年後、矢野顕子さんと共演できる機会がやってきました。私の人生のピーク、40代でした。ふつう、本物の蟹はカニカマとは同じショーケースに並べて欲しくない、と顔に書いてあるものですが、矢野顕子さんはむしろ遊びとして面白がれるような心の広さ、れっきとした自負もお持ちなのでした。音楽的な技術だけではなく、愛にあふれる人間性にもまた、惚れこんだことは言うまでもなく、私も他人に優しくするぞ、と誓ったものです。
さて、ステージには二台のピアノが置かれ、私はそれだけでも感涙ものの景色でしたが、いざ数曲ご一緒した時の事。やっぱり歌声が一見ぼんやりと似てるってだけで、ぜんぜん違うもんだと一瞬でわかりました。予感はあったものの、どんなに憧れたところで、近くに寄ってみると、全く別物なのだなあとわかったのです。芸術と芸能は大きく違うんだなー。かと言ってナマで聴く矢野顕子さんの演奏は気持ちがいいので、快楽をともなったアキラメ状態となりました。食事の時に、そんな事をちょっと話すと、矢野さんは言いました。
「でもさあ、蟹だってカニカマにはなれないよ」。
目からウロコ。私には私でなければできないこともあるのだった。急に俯瞰で見えてくるかのようでした。自分にしか味わえない快楽や面白味だってしっかりもらってきてた事を、うっかりゼロにしておりました。矢野顕子さんのこういった、サムライのような鋭さを、冗談のようにニコニコ話してくれるという一面もまた、私が尊敬するゆえんです。人と比較して下げるのは簡単ですが、自分のこともよく見て、尊敬して生きようではないか、と思うに至ったのでありました。
PROFILE
清水ミチコ/しみず・みちこ
1987年にテレビデビュー。多数のバラエティ番組に出演。俳優としても活躍し著書も多数。11月よりコンサートツアー「清水ミチコ万博 〜ひとりPARADE〜」を開催。
『クウネル』2024年11月号掲載 編集/鈴木麻子
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