広告のスター集団の中で【桜井莞子さんが70歳でレストランを開くまでvol.2】

クウネル2023年7月号に登場の桜井莞子さん。70歳で青山に家庭料理店『のみやパロル』をオープンさせたかっこいいマチュア世代です。広告会社で働いたのち、料理の仕事をするようになり雑誌『Olive』の料理コーナーを担当し……。ワクワクに満ちた人生を振り返った著書『79歳、食べて飲んで笑って』(産業編集センター)が話題です。

70代で青山に「パロル」を作るまでの軌跡を『79歳、食べて飲んで笑って』からご紹介します。第2回目は、高度経済成長期真っ只中のとき、華やかな広告業界に身を置いた話。

遊び場は六本木

1962年、私は日本デザインセンターに就職します。日本デザインセンターは、デザイナーの亀倉雄策さん、原弘さん、山城隆一さん、田中一光さんなどが中心となって、トヨタ自動車、アサヒビール、新日本製鐵、野村證券などの企業8社が出資して設立された広告制作会社です。

立ち上げメンバーをはじめ、横尾忠則さんや宇野亜喜良さん、長友啓典さんなど、今となっては日本を代表する方々が揃った新進気鋭のデザイン集団でした。いわば時代の最先端にある会社に入ることができたのですが、私の仕事は受付嬢。入り口のカウンターに座り、訪ねてくるお客様のご用件を聞いてお部屋にお通ししてお茶を出すという、ただそれだけのことをしていればいい仕事でした。

カウンターから後ろを振り向いてみると、クライアントごとに分かれている各部屋が見渡せました。私といえば全く呑気なもので、初めての出勤日には一番手前の部屋にいた横尾忠則さんの姿を見て「あら、なんて素敵な人なんだろう!」と一目でファンになってしまったり。10代の終わり頃、まだ社会の厳しさなど何一つ知らない少女でした。時代ものんびりしていたのでしょう。

暇があるとみんな社内のライブラリーに集まっておしゃべりしたり、おやつをいただいたり、とにかく楽しい毎日でした。ショートカットの私はみんなに「坊や」という愛称で呼ばれ、よくご馳走してもらったり、遊びに連れて行ってもらったり、ずいぶんかわいがってもらったと思います。冬はスキー、夏は海、映画や音楽、ファッション、お酒……とにかくよく遊んでいました。流行りのミニスカートも一番に取り入れるような女の子でした。

その頃の遊び場で一番熱かったのは六本木。ワシントンハイツと同様、六本木は進駐軍の街でしたから外国人向けの店も多かった。中でも1960年に飯倉にオープンしたイタリアンレストランキャンティはその中心的存在で、流行に敏感な若者や文化人が集う社交の場になっていました。

店内には、前菜を数品乗せたワゴンが回ってきて、じゃあ私はこれとこれ、なんて選ぶのが楽しかったですね。魚介のマリネや仔牛のステーキ、バジリコ、思い出に残る味がいくつもあります。キャンティを創業した川添さんの妻・梶子さんのブティック・ベビードールも、グループ・サウンズの衣装などを手がける最先端のお洒落な店で、私たちの憧れの存在でした。

1963年はケネディが暗殺され、ベトナム戦争がどんどん深刻化していく前触れのような年でしたけれど、そんな世の中を尻目にとにかく私は遊びたい盛り。毎日、今日はどこへ行こうか、何をしようか、落ち着きなく飛び回るような日々を送っていました。キャンティでは安井かずみさんや加賀まりこさんなどとも知り合って新田ジョージさんの赤坂の店にも行くようになり、毎日のように夜の街へ繰り出していました。

 

そんなある日。いつものように受付に座っていると、宇野さん、横尾さん、原田維夫さんが3人で仲良く出かけていくのを見ました。それ以来、この3人組がたびたび打ち合わせに出ていくのを見かけるようになります。どうも会社を辞めて新しく自分たちで独立するための話し合いをしていたようで、そのうちに「一緒に働いてくれないか」と私にもお声がかかりました。

これまた青天の霹靂!私はただの受付嬢、コレといって何ができるわけでもなかったのですけれど、ぜひ来て欲しいと言っていただき、このメンバーならきっと面白いことになるに違いないと思って付いていくことにします。それが1964年に設立されたスタジオ・イルフィルです。

全くもってはちゃめちゃな集団で、「今日は坊やの給料日だね」なんて言って、3人がもそもそポケットからお金を出してその場で袋に入れて渡してくれるのが「給料」だというんですが、お金を忘れちゃう人、持っていない人までいる始末。仕事が終わる時間もめちゃくちゃで、試写会があるっていうとその時間には早仕舞いしてみんなで映画を観に行っちゃったり。

けれど、そんな気ままな仕事場だったイルフィルはわずか1年足らずしか続きませんでした。3人とも初めはそれほど忙しくなかったのですが、宇野さんがマックスファクターの仕事を始めて先駆けて忙しくなり、イルフィルを閉めてReという屋号で独立することになったのです。

忙しくなった宇野さんに誘われ、私はまた流れるようにReに入ることになります。メンバーは宇野さんとコピーライター、デザイナー2人、そして雑用係の私。事務所は先鋭的なクリエイター達が集まる原宿セントラルアパートの4階にありました。宇野さんとは毎日一緒に過ごすことになり、今だから言えることですけれど、自然な成り行きで恋に落ちてしまいました。

詳しくは発売中の本書を

『79歳、食べて飲んで笑って 〜人生で大切なことは、みんな料理に教わった』(産業編集センター)

年齢を重ねるって楽しい! 70代でお店をオープン、伊豆と青山で2拠点生活。食通に愛される青山のごはんや・のみや「パロル」店主・桜井莞子さんによる、“好き”であふれた日々を送るための処方箋。桜井さんが自分を形づくってきた人や物事、さまざまな料理やお酒について語る1冊です。桜井さんの思い出の料理10品のレシピも公開。

『79歳、食べて飲んで笑って 〜人生で大切なことは、みんな料理に教わった』(産業編集センター)

クウネルのYouTubeでは料理解説も

発売中のクウネル7月号で「じっくり手間をかけて、定番食材をごちそうに。」の企画に登場の桜井莞子さん。 紹介してくれた4品の中から、「パロル」でも人気の〈しらたきとピーマンのきんぴら〉の極意は?

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〈撮影/田川友彦 聞き手/田邊詩野(子鹿社)〉
※本記事は『79歳、食べて飲んで笑って 〜人生で大切なことは、みんな料理に教わった』(産業編集センター)からの抜粋です。

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