生まれは戦中の満州です。【桜井莞子さんが70歳でレストランを開くまでvol.1】

クウネル2023年7月号に登場の桜井莞子さん。70歳で青山に家庭料理店『のみやパロル』をオープンさせたかっこいいマチュア世代です。広告会社で働いたのち、料理の仕事をするようになり雑誌『Olive』の料理コーナーを担当し……。ワクワクに満ちた人生を振り返った著書『79歳、食べて飲んで笑って』(産業編集センター)が話題です。

70代で青山に「パロル」を作るまでの軌跡を『79歳、食べて飲んで笑って』からご紹介します。第1回目は、はじめましてのご挨拶から。

いままで、そしてこれから

1943年7月生まれの私は今年79歳になります。振り返ってみれば、遊び倒した学生時代、デザインの世界への就職から早60年、結婚、離婚を経て、気付けば、料理の仕事が私の一生の仕事になっていました。此の間、嬉しいこと、悲しいこと、さまざま経験してこのたび、これまでの道のりを振り返ってみることにしました。

70歳で「パロル」というおもちゃを再び手にした私は、今もこのおもちゃで楽しく遊んでいます。子どもだったら次のおもちゃが欲しくなるかもしれませんが、私にとって「パロル」は最後のおもちゃです。大切にして、まだまだ「パロル」で遊ぼうと思っているところです。

始めたときは、80歳までやろうと決めていました。そして80歳まで残すところ1年となった今、その約束をすこし先に延ばしてもいいのかな、と思うようになっています。願わくば90代になっても、今のまま「あそこに行ってみたい」「これを観てみたい」という好奇心を失くさず、ちょっぴり身体に楽をさせながら、ワクワクする気持ちを大事にしていきたいですね。

食いしん坊は生まれつき

私が生まれたのは1943年、第二次世界大戦中の満州です。父は李香蘭のいた満州映画協会に勤める商業デザイナーでした。1943年といえば東京府が東京都になった年。この頃の日本は、すでに敗戦色が濃くなっており「決戦食」などと名付けて、野草や野菜の皮などを使った雑炊を食べていたような時代です。生まれたばかりの私にはもちろんその頃の記憶はありません。

本土に引き揚げてきたのは3歳のときのこと。それから父が帰還するまでの3年間、群馬県の父方の親戚や、東京の母の姉などにお世話になったのち、埼玉県の浦和市(現在のさいたま市)にある、これも父方の親戚の家の離れだった茶室を借りて、両親と、妹と4人で住むことになります。私は小学生になっていました。

浦和の家は駅からそれほど遠くない住宅地にありました。といっても、今とはずいぶん様子が違います。近所には炭屋さんがあって牛に荷台を引かせていました。隣には魚屋さん、八百屋さん、お茶屋さんが軒を並べ、駅の近くまで行けばフルーツパーラー、中華そば屋さん、浦和名物のうなぎ屋さんもありました。私は魚屋さんの三兄弟のきびきびと働く姿に憧れて、毎日のように遊びに行ってはハエをウチワであおいだりなんかして、魚を貰って帰って母を喜ばせていました。

紙芝居が来ると駄菓子が欲しくてねだったけれど買ってもらえず、近所の駄菓子屋さんで盗みを働き、見つかって叱られて、なんてこともありました。この時は盗んだものを返しに行って、長いこと座らされました。

 

生来の食いしん坊はこの頃からで、母が作るドーナツや、お餅を干して揚げたのなどが、大好きでした。商品になっているお菓子が少なかったから、筍の季節には竹の皮に梅干しを入れたものをチュパチュパ吸うなんて、今では考えられないようなおやつもありましたね。これも酸っぱいものが好きな私の好物でした。

時に父が「お散歩行くよ〜」なんて機嫌の良い声をかけてくれたら、急いで支度をして付いていきます。そんな時の父は、浦和の駅近くにあったやまぐちフルーツパーラーで、フルーツパフェを食べさせてくれるからです。

戦後、父は企業の広告やデザイン、後年には映画配給会社に所属してポスターなどを描く仕事を始め、ほとんど自宅で仕事をしていました。アシスタントさんや仕事関係の方が毎日いて、母はその食事の世話をしていました。私の料理の原点はやっぱりこの母の味にあるのでしょうね。料理を作っているそばでいつも味見をせがんでいました。

特段変わったものがあったわけではないけれど、思い出して食べたくなるのは、たとえば生牡蠣の酢の物。子どものくせに生牡蠣が大好きだった私は、母がこれを作ると嬉しくて、牡蠣が嫌いな父と妹が気味悪そうな目つきでこちらを眺めているのを尻目に、母と二人、パクパクと食べていました。それからすき焼き。私はフライパンで焼いた牛脂まで食べてしまうほどのお肉好きでしたから母が作るすき焼きが大好物で、お肉の日は嬉しかったものです。牛脂を食べていたなんてちょっと気持ち悪いわねと、今となっては思うけれど。

他にも父の好物だった豚カツやポークソテー、肉じゃが、ひじき、切り干し、おひたし、大根とさつま揚げの煮物……こうしたものは、母の味を受け継ぎ、時代に合う味にアレンジして、今ではわたしの定番メニューになっています。そうそう、忘れてはならないのが食卓に必ず出ていた白菜漬け。母は酸味のあるものが好きな人で、我が家の食卓には漬物は欠かせないものでしたね。

今、私の手元には母が書き残してくれたレシピ帳があります。舌で覚えた味だからじっくり読み返したことはなかったけれど、あらためて読んでみると材料の少ない時代に、工夫して美味しいものを食べさせてくれようとしていた母の心遣いを感じます。

詳しくは発売中の本書を

『79歳、食べて飲んで笑って 〜人生で大切なことは、みんな料理に教わった』(産業編集センター)

年齢を重ねるって楽しい! 70代でお店をオープン、伊豆と青山で2拠点生活。食通に愛される青山のごはんや・のみや「パロル」店主・桜井莞子さんによる、“好き”であふれた日々を送るための処方箋。桜井さんが自分を形づくってきた人や物事、さまざまな料理やお酒について語る1冊です。桜井さんの思い出の料理10品のレシピも公開。

『79歳、食べて飲んで笑って 〜人生で大切なことは、みんな料理に教わった』(産業編集センター)

クウネルのYouTubeでは料理解説も

発売中のクウネル7月号で「じっくり手間をかけて、定番食材をごちそうに。」の企画に登場の桜井莞子さん。 紹介してくれた4品の中から、「パロル」でも人気の〈しらたきとピーマンのきんぴら〉の極意は?

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〈撮影/田川友彦 聞き手/田邊詩野(子鹿社)〉
※本記事は『79歳、食べて飲んで笑って 〜人生で大切なことは、みんな料理に教わった』(産業編集センター)からの抜粋です。

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