22歳で看護師の仕事に就いて、それからほぼ半世紀……。訪問看護師のパイオニアとして知られる秋山正子さんに聞いた「看取りの文化」とは?
訪問看護師・秋山正子さん
母が見せてくれた看取りの形を、今度は自分がサポートしていきたい。
看護師の仕事を選んだのは、16歳、 高校一年生のときにがんで父親を亡くした経験がきっかけでした。今とは違ってがんの告知は限られた身近な親族だけ。秋山さん自身、それほど深刻な状況だとは思っていませんでした。
しかし当時56歳だった母親は、秋山さんに「学校がおわったらまっすぐに帰ってきなさい。当分魚は食べられないのよ」と言ったそうです。死期が近いからなるべく家にいてほしい、仏事があると魚や肉は食べられなくなる。
夫を看取る覚悟をし、母は娘にその準備をさせていたのです。
「昔、人は家で亡くなるのが普通でしたし、誰もが家族の最期を見送るやり方を当たり前に知っていたんですね」
時代は移り、現代は多くの人が病院で最期を迎えます。看取りの文化は暮らしの中から失われていき、死は実感しにくいものになってきました。
そこで秋山さんが取り組んできたのが、自宅で医療や看護を受けることができる在宅ケアのシステムでした。医師、看護師、ヘルパーさんなどがそれぞれの地域でチームを組んで、在宅で看取りまでを担える体制を整えること。
「病院はたいていの場合、患者さんに モニターがついていて、家族は最期の時にモニターの数字を見たりしている の。それってちょっと寂しいじゃない?ずっとその人が生活してきた場所で、声をかけたり、ちょっとさすったり、そんなふうにしているうちに、あ、息をしていない……そんな経験が 家族の間でされるって、とても自然なことだと思うのです」
地元である新宿区の訪問看護ステーション、誰もが自由に無料で健康や暮らしの悩みを相談できる「暮らしの保健室」の運営。同じように、がん経験者や家族が病気のことを相談したり、 寛いだりできる画期的な施設「マギーズ東京」の共同代表。秋山さんの仕事は大きく展開していきました。
「昔の看取りの文化を取り戻すのは難しいかもしれないけれど、私がやってきたことは、母が見せてくれた看取りの形、昔の家ならばどこでも起こっていたことをサポートすることなのかもしれないですね」
秋山正子/あきやままさこ
訪問看護師、認定NPOマギーズ東京センター長
病院勤務、看護教育の現場を経て、 新宿区で訪問看護に携わる。「暮らしの保健室」「マギーズ東京」「坂町ミモザの家」を運営、サポート。 第47回フローレンス・ナイチンゲール記章を受章。
『ku:nel』2021年3月号掲載
写真/森山祐子、取材・文/船山直子