<クウネル・サロン>プレミアムメンバー青木美詠子さんは整理収納アドバイザーの資格をもつ文筆家。収納について本WEBで連載中ですが、「これからの生き方」についての考察も共感すること多々。さて、58歳を迎えた青木さんが、「はじめての」シニア世代突入を前に、あれやこれやと思いを巡らせているようで……。
「はじめて」のシニア体験へ…
「はじめてのおつかい」という番組を見たことはありますか? ちいちゃなお子さんが、はじめて買い物に出かけるというもの。うまくできずに大泣きしてると、「ああ、がんばってるな。微笑ましいな」と思ってしまいますが、実は人生も「はじめての○○」の連続なんだと思いました。
「はじめての学校」、「はじめての社会人」、「はじめての結婚生活」、「はじめてのお母さん」などなど。誰でも詳しくコツを教えてもらわないまま、突入するのです。だから、うまくできなくて泣いてしまうのも当たり前。特に私は未経験である「はじめてのお母さん」は責任感や忙しさ、孤独感で押しつぶされそうになることも多いと聞きます。今は共働きも多いし、助けてほしいお父さんだって実ははじめてだし、手をさしのべてくれる経験者が近くにいない社会だからかもしれません。
そんな私は、知らないうちに「はじめての中年」になっていました。でもこの変化は、自虐的に冗談ぽく扱える範囲。友達とも「白髪が出ちゃってさあ」とか、「老眼はがんばらずに、もう眼鏡をつくりなよ」とか言い合ったり、なんだか明るさがありました。
でもこの先で迎える「はじめてのシニア」は、ぐっと変化がある気がします(シニアという言葉もどうかと思いますが、いろんな呼び方の中では、まだいいかなと……)。ちなみにシニアの定義は定まっておらず、「WHOでは65歳以上」とのこと。そんな機関が定義するのも驚きでしたが、もっと若く55歳くらいでシニアという言葉を使うところもあるようです。
ずいぶん前、3歳上の夫に映画の「シニア割引」が適用されると知った時は、「もうそんなことになるのか」と驚きました。だから今58歳の私も、くくりによっては、もうシニアに入っていたりして。いや、それはもう少し先でお願いします……という感じ。まあ、こういうことは何も意識しないほうがいいんですよね、本当は。
自分の努力だけではどうにもならないことも
いずれにせよ、はじめての世界に突入するので、不安や失敗が多いのは当たり前ということ。しかもその不安や悩みは、若い時に比べて自分の努力だけではどうにもならないことも多いから、重たい感じがするのでしょう。
転職も自由にはいかないし、気力はあっても体力が衰えたり、考えることもたくさん。「定年の前後で働き方をどうしようか」、「私はいつまで元気で生きるんだろう」、「未来にかかるお金はどれくらいなんだろう」などなど、わからなさと深刻さがすごいです。友達でも「老後のことを考えると、どうしようもなくなるから、考えない」と言う人もいます。願わくば私もそうしたいけど、心配性なのでどうしても考えてしまいます。
悩みつつも、できるだけ軽やかにいきたい
でも日常では私も、そこまでずっと悩んでいるわけではなく、普通に家事をしたり、文章を書いたり、夫婦で趣味の野球を見て楽しんだりしていますが、この根底にある人生最後の宿命には、その近くに来るまで気づきませんでした。そう感じ始めると、「私より年上の人って偉すぎる!」と尊敬の念が湧きます。こんな重さの中で明るく生きていて。「あら、そんなの普通だし、いちいちそんなこと考えたら暗くなるわよ。どうにかやっていけるから」という態度にも憧れます。でも私のような心配性は、ひょいとそういう姿勢にはなれないこともわかっていて、そのことでも自分を責めてしまいそうです。
そんな中、これから自分がどうしていけばいいか、何度も考えてみました。すると、そういう重さも抱えつつ、受け入れつつ、なんとか方法を考え、できる準備があったら行い、明るく暮らしていくことなのかなと思いました。「そういう自分でいる。そういう自分を後から来る人に見せる」ってことが、この先を生きる意義なのかもしれないと。そう思うと、それは若い人のチャレンジよりある意味、重たいハンデがある中でやっていくわけだから、やりがいのある、突破しがいのある、尊いことなのではと思い直しました。
ゴルフや陸上などでも、シニアの階級がありますよね。90歳くらいでバーベルを持ち上げる男性をテレビで見て驚いたことがありますが、人生においても、そういうバーベルを持ち上げてやろう! という感じに思えばいいのかな。困難を笑い飛ばしながら、重いものをあげたら、きっとスカッとするんでしょうね。人生の最後のハンデ戦は、いろんな策を講じながら、笑顔でいきたいです。