国際中医専門員の資格を持ち、『衣食で心と身体のケア』をテーマにライフアンドファッションスタイリスト®として活躍する、やくぜんもとこさん。クウネル・サロンでも、薬膳やファッションがテーマの記事を担当しています。
実はやくぜんもとこさんが現在のキャリアをスタートしたのは51歳のとき。過労から体調を崩してしまったことで、26年近く勤めた会社を早期退職。このことがセカンドキャリアを考え始めたきっかけだそう。そんなやくぜんもとこさんが、今のファッションと食という軸の仕事を見つけるまでのお話を全4回のショート連載でお届けします。まずvol.1は、過労で体調を崩してしまった当時のお話。
クウネル・サロンをご愛読のみなさま、こんにちは。やくぜんもとこと申します。現在54歳で、同い年の夫と8歳の息子猫との生活を楽しみながら、マイペースに、大好きなファッションと薬膳のお仕事をしています。そんな私も、6年前に退職した直後は、病気も2つ抱えながら、初めての専業主婦生活に戸惑う日々。「これからどう生きていったらいいんだろう?」と、まさに人生迷子でした。今回編集部の依頼により、今のセカンドキャリアに辿り着くまでを書くことになりました。まだ起業して3年余りでおこがましいかも?と迷いましたが、同年代の方に少しでも励みになったり、参考になることがあれば嬉しいです。
◆大学卒業後、やりたいことが特に見つからないまま就職。
私が就職したのはいわゆるバブル期の1990年。大学の4年間でやりたいことも特に見つからず、親戚のご縁で不動産管理会社へ就職しました。親会社の土地や建物を管理する専門会社であり、比較的地味で堅実。バブル期もバブル崩壊後もさほど影響を受けず、のんびりとした社風だったおかげで長く勤めることができたのだと思います。
しかし、東日本大震災以降は、会社を取り巻く状況が一変。慢性の人員不足などで社内の空気が徐々に重くなっていきました。2014年頃、55歳以上の方への早期退職勧告などが目立ち始め、どんどん人が減って行きました。当然、一人当たりの業務負担も増大。自分の業務に加え、人手不足による他部署の応援業務も重なってパンク寸前でした。平日は、家と会社を往復することが精一杯。自由な時間は週末のみで、どんどんストレスが溜まっていくのを感じましたが、みんなも同じだからと自分に言い聞かせていました。
◆過労から、ついに体調を崩してしまう……そして「気管支喘息」を発症。
私自身の早期退職が具体的になったのは、2015年5月のこと。風邪と思っていた咳が気管支喘息と分かってからのことでした。近所の医師から「喘息は一生薬を飲む必要があるし、死ぬこともある」と言われて、大きなショックを受けます。同時に薬の副作用もひどく、日常生活を送るのもやっと…という状態でした。
副作用を例えるなら、全力疾走した後のよう。いくら寝ても息苦しさと全身の疲労感が抜けず、ひと仕事終える度に少し休まないと動けないほどでした。それでも会社の業務量が減ることは一切なく、具合が悪くて休んでも代わりに誰かがやる訳ではないので、翌日には残業しなければ終わらない有様。
上司に業務量のことを相談すると「皆、手一杯だから手伝えない」とつき返されてしまい、いよいよ夫に退職のことを相談することに。すると、小児喘息経験者の夫から「きっと少ししたら慣れて副作用も落ち着くから」と、退職を保留にされてしまいました。
◆薬の副作用は少し落ち着くも……続けて「椎間板ヘルニア」が判明。
その後、お医者様とも相談して薬の量を減らした成果もあり、夫が言った通り3か月ほどで副作用に慣れ始めました。「まだ頑張れるかな?」と思い始めたのも束の間、今度は9月に右脚の痺れと痛みで突然歩けなくなりました。
当時は家から駅まで約10分の距離を、休み休み30分かけて歩き、夜も急に痺れと痛みに襲われて何回も起きるほど辛かったです。結局、整形外科でMRIを撮り、「椎間板ヘルニア」の診断を受けました。痛み止めとして神経伝達をブロックする薬をもらいましたが、肝臓への副作用があると聞き、怖くなって飲まずに痛みを我慢することに。
さすがに2つの病気を抱えて、今までとおりに勤めることはできないと思い、今度こそ夫に「辞めます」と伝えました。すると「今まで頑張ったからもういいかもね」と賛成してくれたのでひと安心。上司には有難いことに慰留していただき、休職を提案されましたが「休職後、復帰する際は今の役職には戻れないかもしれない」と。今までの頑張りが無になるようで悲しくなり、2015年12月に48歳で退職しました。
◆退職直後は専業主婦をしながら、体調回復に専念。
退職後は「もう会社に行かなくていいんだ」という自由を手に入れた嬉しさと、「これから何をしたらいいんだろう?」という喪失感が同時に襲ってきました。少しでも病気になる前の健康状態に近づければと食事や運動に気を配り、喘息に関する本から新たな生活習慣(こまめな掃除、腹八分、毎日の呼気流量値の計測)を取り入れて過ごしていました。また椎間板ヘルニアは薬や手術ではなく、リハビリで治療する医院に通いました。そうしているうちに、喘息もヘルニアも少しずつ回復を実感。
とにかく元々が薬嫌いで、薬を飲みたくない一心で必死になっていました。食事は夫が大病した際に食事制限を厳しくしすぎて続かなかったので、少しずつ緩やかになっていましたが、やはり「身体は食べたもので出来ているから」と痛感。日常に馴染みやすくて健康を保てる食事を本格的に学びたいと、マクロビオティックと薬膳のふたつに絞り込みました。
これからどちらにしようか?と迷っていた時にご縁があった、とある料理教室で「薬膳は食べてはいけないものがない食事」と聞いたのがきっかけで、この後中医学への道を進むことになるのです。
次回、やくぜんもとこさんは薬膳の勉強をスタートします。vol.2へ続きます。