文筆家・大平一枝さんの人付き合い。「誰からもいい人だと思われたい」という願望を手放したら…
朝日新聞のWEBメディアの連載「東京の台所」は10年以上続く人気コンテンツ。市井の人の台所取材から見える、人生ストーリーに共感が集まっています。そんな大台礼賛にこれから自分が楽しめるために、大人になってからいろいろなことをやめた人。やめた結果、どんな風に変化したのか?伺いました。
人生のステージによって価値観は変わる。
「若い頃は、価値観というのは変わらないものだと思っていました。でも、人生のステージによって価値観は変わる。自分の中で『ねばならない』と思っていたものが、年を重ねるにつれ、暮らしのサイズやリズムに合わなくなっていく。だったらそれに合わせて変えたっていい」
大平一枝さんが、そう思えるようになったきっかけの一つには、体の変化があったといいます。51、52歳くらいで更年期を迎え、大好きだったコーヒーが飲めなくなったり、悩み事もないのに眠れなくなったり。さらに、2人の子どもも大きくなり、バイトや友だちづき合いを優先するようになると、以前は塊で買っていた肉やトイレットペーパーのストックがなかなか減らない。これまでは適量だったものが過多になっていたことに気づいたのだそう。すると、毎日の暮らし方や物のもち方だけでなく、人づき合いもおのずと変わっていったといいます。
「たとえば、以前は都心で飲んでいたら、2軒目、3軒目まで行っていましたが、今は電車で帰れる時間に地元に戻り、家に帰る前に一人でジャズバーなどに寄るようになりました。妻や母に戻る前に、一人でゆっくりお酒を飲んで音楽を聴き、少しだけ人と話す。そんなふうに静かな時間を一人で過ごしながら、仕事の『大平一枝』に句点を打つ感じかな。こうした余白が、かつての私にはまったくなかったですね」
自分が今まで信じていた「絶対」を整え直すイメージ。
大平さんが今振り返って思うのは、30代、40代の自分はあまりに欲張りだったということ。もう一軒行こうと誘われて断れなかったのは、これから先もまだ楽しいことがあるのなら知りたいという欲だったのだと。
「知りたい、行きたい、誘ってと散々言ってきました。スマホの中には、行きたい店リストが山ほどありますが、あるとき全然行っていないことに気がついた。でも、もう残念でもないし、惜しくもなければ悔しくもない。なぜなら、これらは全部誰かが『いい』と言った店。若い頃は、あそこも行った、ここも行ったとマウントを取って満足していたけれど、今はただ『ああ、よかったね』と思うだけです。それよりも、自分がホッとできて、ああおいしかったなあと心から思える店が数軒あれば、それで十分幸せだと思えるようになりました。人との本当のつき合いもそうかもしれませんよね」
大平さんは、10年以上前にインタビューした女優さんのひと言がいまだに忘れられないといいます。「携帯の電話帳を整理して、5人にしたというのです。でも、まったく困らないし、それで十分幸せだと。衝撃でした。私は誰とでも仲良く、知り合いがたくさんいることがいいことだと思っていましたから」
なかなか真似できなかったそうですが、人生の残り時間を意識する年齢になり、確かにそうかもしれないと思うようになったとか。友だちは、頑張ってつき合うものでも、たくさんいればいいものでもない。足るを知り、誰からもいい人だと思われたいという願望を、ようやく手放すことができたという大平さん。
「人づき合いって、ゴムのように伸び縮みするものだと思うようになりました。ずっと同じ距離にいなくてもいい。離れることがあっても、また近づくときがくるかもしれなくて、それは自分でコントロールできない。だったら肩の力を抜いて、流れに身を任せればいいのかなと。何かをやめるとか、手放すことも、思い切ってする断捨離ではなく、人生のステージが変わるたびに、今まで信じていた自分の中の『絶対』を疑い、整え直すというイメージですね」
「やめたこと」ヒストリー
40代 木造一軒家へ転居/大宴会三昧
46歳 お酒の楽しみに目覚める
●自分にリミッターをかけるのをやめた
●人のおすすめをうのみにするのをやめた
50代
●自分主催の大宴会をやめた
●手の込んだ作り置きをやめた
●洗濯物のまとめ洗いをやめた
●天然酵母のパン屋にこだわるのをやめた
●衝動買いをやめた
56歳 現在の家に引っ越し
●もう引っ越しはやめた
PROFILE
大平一枝/おおだいら・かずえ
長野県生まれ。編集プロダクションを経て独立。市井の人々を独自の目線で描くルポルタージュ、失くしたくないもの・コト・価値観をテーマにしたエッセイを執筆。近著『そこに定食屋があるかぎり』(扶桑社)ほか著書多数。
『クウネル』2024年11月号掲載 写真/馬場わかな、取材・文/和田紀子、編集/黒澤弥生
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『クウネル』NO.129掲載
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