願えば叶う。「元ミス日本」マダム・伊藤千桃さんが辿った数奇な運命ストーリー。~ジャカルタの父編~

伊藤千桃さん ヒストリー

新しく〈クウネル・サロン〉プレミアムメンバーに加入となった「桃花源」主宰の伊藤千桃さん。『クウネル』本誌にも何度か登場し、そのたおやかな佇まいと、自然のなかでお金をかけずに豊かに暮らす姿勢が多くの読者の共感を得ています。そんな伊藤さんの波乱万丈な人生について、まずは伺いました。→前編「日本の母編」からの続きです。

インドネシアの父とは2歳で別れ、実の母とも生き別れ、養母に引き取られ、葉山の山の上での暮らしをしていた伊藤千桃さん。24歳のときに結婚し、一男一女を設けましたが、40代後半のときに離婚を決意しました。

「生活感覚の違いがあったりいろいろと『あれ?』と思うことが重なって……。旦那さんの悪口をどこかでいいながら生きていくのは嫌だなって思って、私から別れを切り出しました」

お子さんがまだ学生のころで、お金の心配もありましたが、「まあ、何とかなるでしょ!」と、そこは持ち前の豪胆さを発揮。当時、定期的な収入があったわけではなかったのですが、女手ひとつで子ども二人を育てることとなりました。(そのときの顛末はまた、別の機会に……)。

無我夢中で子育てをし、子どもたちも独立した十数年前、千桃さんは運命的な旅をします。それは、生まれてすぐに別れたジャカルタの父へと辿り着く旅。

この写真を手掛かりに、ジャカルタの父を探すこととなった。

アルバムには幼いころを知る貴重な記録千。

親族に巡り合って以降、定期的にジャカルタを訪ねている。

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「父とは幼い頃に別れ、記憶に全くなく、消息不明のまま。今のままでも自分としては幸せだし、いいかとも思っていたのですが、私の子供たちにルーツを残してあげたいと思ったんです。それで、残された写真などわずかな手がかりから、父を探し出そうと決めたのです」

インドネシア大使館に連絡をとったものの、「探すのは困難」との返事。それでも諦めず、何度も何度もコンタクトを取り続けていました。そして遂に! ジャカルタの父は見つかったのです。

知らせを受け、千桃さんはすぐにジャカルタへと飛びました。残念ながら父は亡くなった後でしたが、親族たちに会うことができました。実父もずっと千桃さんを探し出そうとしていたことを知りました。そのときに巡り合った従兄弟・サトリア ウィラは、フラワーアーティスト。緑に囲まれた美しい家で自然とともにある暮らしに共感し、血のつながりを感じたと振り返ります。以来、ジャカルタの親族たちとは交流が続き、子どもや孫たちと何度も訪れています。 遠い国に、深いつながりを持ち、千桃さんの人生はより豊かなものに。探すことを諦めずにいてよかったと話します。

事実は小説より奇なりといいますが、千桃さんのライフヒストリーはまさに波乱万丈。でも、決してほかの人と比べて悲観したり、現状を嘆いたりしません。運命は受け入れつつも、改善の余地があるならば失敗を恐れずに前に突き進む。そんな姿勢はしなやかで、かっこいい。「一歩前に踏み出してみよう」そんな勇気をもらえます。

現在の葉山の家。

葉山の家は養母から受け継いだ千桃さんの宝。

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