ファッションの記事で日本とパリを繋ぐ、実力派日本人ライターのこれまで。そしてこれから。

20205月号P48-49酒井祥子さん3

本誌でも活躍するライターの酒井祥子さんは、パリに憧れ、2007年に夢のパリ生活を始めました。しかし、ビザの関係で2018年に帰国。一時は目標を失った彼女が、 新たに決意した目標とは?

27歳の時、働いていた映像制作会社を退社し、リフレッシュでパリに短期留学した酒井祥子さん。
「3ヶ月なんて短期間では、フランス語に触れるのが精一杯。でもパリがとてもとても好きになり、リュクサンブール公園でひとり『また戻ってくるから』と、心に誓いました」

日本では、再びのパリ留学を目標に広告制作のアシスタントとして働きつつ、フランス語の勉強もしました。
「2007年、30歳のときにワーキングホリデーのビザを取得し、渡仏しました。日本で働いていた会社からの紹介状も用意しましたが、仕事は見つからず、持参した200万円は家賃と語学学校に消え、毎日切り詰めた生活でしたね」

一年後、コーディネーターの日本人 女性と知り合い、語学を学びながらアシスタントとして働く日々。おもな仕事はパリコレクションに集まるモデルやエディターなど、ファッションピープルを狙ってのスナップ撮影でした。
「景気がいい時期だったので、パリコレだけでなくミラノコレクションのスナップにも派遣されていました」とはいえ、自分の収入だけで生活はできず、両親に送金を頼むこともあったといいます。

プラダのコートを着こなす中国人モデルBa RuijieをJ.W.アンダーソンのショー会場前でキャッチ。「今季のパリコレではアジア人モデルの起用が多かった」

ロンドンの百貨店「セルフリッジ」のメンズバイヤーのジャック・キャシディさんを撮影し、取材。「彼は親日家。日本語が書かれた靴下を履いていたことも」

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「洋服はセールや古着でまかないました。フィービー・ファイロのセリーヌが素敵で憧れのブランドでしたが、あの頃は眺めるだけ。ご飯は友達と集まって作ったり、もちよりで節約。でも、お金がなくとも豊かな生活でしたね」

パリを訪れる撮影隊のために、 ふさわしいロケ場所を探し、撮影日程を組み、アテンドをする仕事はとても楽しく、やりがいに満ちていたそう。 「ひとつひとつの仕事を丁寧にこなし ていたら、『この企画は酒井さんにお願いしたい』と直に依頼が来るようになり、仕事の幅も広がってきたんです」

2016年からは本誌クウネルのパリスナップページの担当になりました。
「それまでは若いモデルを取材するこ とが多かったんですが、50代以降の素敵な女性を撮影することになり、街角で声をかけて話すと、思わずポロッと涙が出るような話が聞けたり、ファッションへのこだわりなど、人生を重ねた方の話は本当に奥深いなあと思います」

仕事が波に乗り、収入が安定した頃、酒井さんに予想もしなかった出来事が起こります。
「滞在許可証が下りず、弁護士に依頼して、あれこれ書類を申請したんですが希望が叶わず、日本に帰国せざるを得なくなったんです。帰国当初は、目標を失い呆然としてしまって……。でも徐々に私はパリと日本と両方でファッションの記事が書ける。それを強みにしていこうと気持ちを切り替えました。今はパリの人脈を生かしながら、日本をベースに仕事を楽しんでいます」

20205月号P48-49酒井祥子さん3
マガジンハウスのクウネル編集部で、担当編集と打ち合わせをする酒井さん。ファッショナブルな女性を街で見つけるセンスには、編集部からも信頼が厚い。

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