「西のおしゃれマチュア」片山優子さんのライフストーリー。56歳でアーティストの道へ踏み出しました
大阪を拠点に、美しいボタンジュエリーの制作をしているアーティスト・片山優子さん。72歳になる今も、ますますエネルギッシュに創作活動を続けています。
約40年間プロのスタイリストとして活躍するなか、出逢ったボタンに魅了され、ボタンを主役にした作品を作りはじめたのが56歳の時。今では国内外を問わず注目を集めるアーティストの1人として活躍中です。
創作の原点やこれからについて、お話を伺いました。素敵なアトリエでじっくりインタビューした動画も公開中です。
※2022年5月初出の記事を再編集してお届けします。
目 次
56歳から新たなキャリアをスタート
今年で72歳になりましたが、若い頃は、自分の今の年齢を想像できなかった。40年間スタイリストとしてがむしゃらに生きてきて、56歳でボタンに出逢い、作品を作りはじめました。それからどんどんボタンが好きになって、今はそれで最後を終えようと思っています。
片山さんのボタン作品1
ボタンに出逢うまで、40年間スタイリストやスタイリスト科の講師の仕事をしていたことが、今につながっていると思います。
ファッションの専門学校卒業後、広告スタイリストの道へ
ファッションの専門学校を卒業後、大手電気製品メーカーの社内スタイリストとして就職しました。
例えば、冷蔵庫や洗濯機のカタログで1人暮らし用のお部屋やモデルさんのスタイリングするなど、電化製品を使う人や設定を考えてスタイリングをする仕事がメインでした。
ボタンをつけてアレンジしたお気に入りのブラウスを着て。
その1年後に、デザイナーとカメラマンがいる企画制作会社にヘッドハンティングされて、専属スタイリストに。その後、22歳でフリーランスになりました。
当時、関西ではスタイリストをしている人はそんなに多くなかったと思います。今まで、カメラマンのアシスタントさんが洋服のアイロンがけをしたり、モデルさんが私物の洋服を現場に持参していた時代。
そこにスタイリストが入ったら、みんなが楽になり、自分の仕事に集中できる。話し合いながら、共存しながら、スタイリストの仕事が確立していきました。
産休後、スタイリストの仕事を再スタート
結婚出産を経て、専業主婦をしていたとき「息子くんのお母さん」「片山さんの奥さん」と呼ばれることが多く「私、片山優子はどこにいるの?」と疑問に思っていました。
そこで息子が小学校に入った頃、知り合いのヘアメイクさんのマネジメントから、徐々にスタイリストの仕事に復帰。復帰後は、とにかく毎日がむしゃらでした。ファッションの専門学校で講師をしている時期もありました。
ボタン作品を特殊技法のプリント加工を施した『アバウトボタン』のワンピースを着て。
そして、私を育ててくれたカメラマンとの出会いが訪れます。ある日の撮影で「この洋服、モデルに似合ってる?」と聞かれました。「流行りだから」と答えると、「流行りだったらいいと思ってる?」と。大切なのは、その人に似合っているかどうか、です。
モデルさんのために用意したコートと、私が着ていたコートと交換するように指示されたこともありました。「あなたのセンスに期待して、スタイリングをお願いしてるのに」と言われ、目から鱗でした。
その頃から、モデルさんの個性に合わせた服や、着せたい洋服に似合うボディ作りを意識するように。肩幅、フェイスライン、首の長さ、耳位置はどうか。ウエストが細すぎるのなら、中綿を入れることもあります。
今、展示会などでお客さまに「片山さんははっきりアドバイスしてくれて嬉しい」と言われるのは、ここで鍛えられたおかげかもしれません。
アーティスト・片山優子誕生。ボタン作品を作りはじめたきっかけ
アトリエで制作中の片山さん。
たとえば女性は、引力の法則で首の付け根からバストの高い位置までの長さ「乳さがり」が長くなってきて、上半身が間延びしてきます。広くなったデコルテ部分に首飾りなどを付けて視線をお顔の近くに持ってくると、とてもバランスが良くなると思いました。
赤色の首飾りは顔色を明るく口紅の代わりに、貝ボタンは光を反射するのでレフ板効果にもなります。ボタンジュエリーをつけた方のお顔がパッと華やかになるんです。
作品を作りはじめたきっかけは、スタイリングの仕事の際に、モデルさんの襟元にポイントを付けたくて、ボタンのアクセサリーを自作したことがきっかけでした。それが現場で好評で、少しづつ自己流で作品を制作をしてみることに。
作家活動の原点である「つけ襟タイプ」の作品。貝ボタンが700〜800個付いている。
ちょうど時代は、不景気で広告業界の仕事が少しずつ減ってきたタイミング。次第にボタンの作品の評判が広まって、個展のオファーが多くなっていきました。ちょうどいいバランスで、制作活動へ移行していったと思います。そして今日まで十数年間、毎日ボタンに触れ続けています。
プロのスタイリストとしてギャラをいただくということは、クライアントが望まれる以上のことをしなければと考えていました。時にスタイリストは現場の雰囲気作りも大切で、チーム皆の動向も先読みしていたと思います。
今は、全て作りたいと感じる作品を自己責任で生み出しています。全く違う視点での働き方です。
アーティストになり、自分自身が変わったとは思っていませんが、こんなにもボタンのことを好きになると思いませんでした。ボタンを刺した分だけ、触れる分だけ、好きになっていく。ボタンと向き合っている時間は本当に楽しいです。
気づいたら時間を忘れて制作に没頭してしまうから、たまに友人が旅行やご飯に連れ出してくれたり、余暇を楽しみながら暮らしています。何より、作品を手に取ってくれたお客さんの声が本当に幸せです。それを原動力にまだまだ制作を続けたいと思います。
アトリエインタビュー公開中!
写真/近藤沙菜 取材・文/阿部里歩