ジェーン・スーさん×伊藤亜和さん対談3/「考えて答えを出し責任を取る」このエクササイズをさぼらない
大人女性の最強の寄り添い人であるジェーン・スーさんと、やわらかな感性で日常を自在に紡ぐ伊藤亜和さん。年の差を越え、心地よい距離感で「友達」認定し合う2人が思う「素敵な大人」とは?
どんなことも自分の頭で考えて 言動に責任を持つ、それが大人。
——お2人にとって「大人になる」とは?
「大人になる」という定義は、人によって全然違うと思います。それによって、なるものも変わってくるので。例えば、複雑な味覚は加齢とともにわかるようになるし、私みたいに、年齢を言い訳にしないという人もいる。逆に、年相応の振る舞いこそが大人だと思っている人もいますよね。
私は子どもの頃、「女の子なんだから」と言われるたびにカッとなっていたんです。そのせいか、「大人になる」という定義も、自分の中ではネガティブな箱に入っているんですよね。ただ、私の母については少し別で。私が小さい頃に離婚して、貧乏だったんですよ。だから、もし私がいなければ、本当はもっと別の、いろんな人生があったんじゃないかなって。でも、大変だったであろうことについて愚痴や文句を一切言わないし、私に対しても何もいわなかった。
「あなたさえいなければ」みたいなことを、言わなかったということ?
そうです。それは結構すごいことなんじゃないかと。そんなふうに、自分の選択したことをフラットに受け入れることが、「大人になる」っていうことなのかなと思います。
私は大人に対する悪いイメージは全然ないんですよね。じゃあ「大人になる」って何かと言えば、自分の頭で考える力と、自分の発言や行動に責任が持てる、この2つですね。自分で考えてやったことに自分で責任が持てるなら、何をしてもいいと思うし、それを「大人なんだから」とたしなめられる必要もないと思います。
言動に責任を持つといえば、以前は失敗をすると、「私は間違ってなかった、あれはあれで良かった」と頑なだったのが、最近になって、「あんなこと、やんなきゃよかった」って、ちゃんと後悔できるようになりました。
それはつまり、「自分に足りないものがあった」と後悔しても、「自分の存在価値までは揺るがない」と思えるようになったってことね。そうなるまでには、どんな人でも、経験や時間が必要で、亜和ちゃんは今のタイミングだったってことなんじゃないかな。
たとえ私が間違えたとしても、周りの人は離れていかないんだとわかってきたんですよね。そういうことで年々、気持ちが楽になってきた気がします。
大人だからこそ柔軟に、考えることをあきらめない。
「間違えても大丈夫」と思えるからこそ、誤りを認められるようになるんですよね。そうなるためには、新しいものを自分にインストールして考え、意見として出す一連の作業が大切。それを怠ると、自分の考えに固執しがちになって、できることが減るし、何でも否定から入ってしまうんじゃないかな。
——その一連の作業は、年齢を重ねればできるようになりますか?
自分の頭で考えて、答えを出し、責任を取る。このエクササイズを日頃からさぼらないことですね。難しい時もありますが、私はそうしています。
——最後に、年を重ねる中で変わらず持ち続けたいものを教えてください。
友達に教わった中国の古い詩の一節、「時窮節乃見 一一垂丹青」(とききゅうしてせつすなわちあらわれ、いちいちたんせいにたる)。社会が混迷するほど、正しい道を歩む人が輝く、という意味で、私もそんな人でありたいです。同時に、時代の価値観に柔軟に向き合う「不易流行」の心も大切にしていきたいと思います。
私はやっぱり「自分の頭でちゃんと考えること」。世間の言葉の裏にある意図に気付けるために、そして自分の幅を狭めないためにも、思考の訓練をさぼらず続けていきたいですね。とはいえ、子どもの頃に思い描いていた「大人」は幻想かも? と思ったりもします。実際に大人になってみると、完璧ではないところもたくさんあるから、「大人」は空想上の動物、ユニコーンみたいなものなのでは?! なんて思っちゃいますね。
PLOFILE
ジェーン・スー/じぇーん・すー
コラムニスト、ラジオパーソナリティ。52歳。TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』、ポッドキャスト『OVER THE SUN』のMCとして活躍中。新著「ねえ、ろうそく多すぎて誕生日ケーキ燃えてるんだけど」(光文社)。
伊藤亜和/いとう・あわ
文筆家、モデル。日本とセネガルのダブル。29歳。「note」の投稿が注目され、エッセイ集『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)でデビュー。新著『変な奴やめたい』(ポプラ社)。
写真/馬場わかな、ヘア&メイク/yumi(Three PEACE)、取材・文 /松永加奈、編集/鈴木麻子