『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』上映中。90歳を超えて活躍し続けた孤高の天才ピアニストの軌跡
かっこいい大人たちの半生を追体験できるのが、ドキュメンタリー映画の魅力。肉声のメッセージやリアルな生き様から、生きるヒントをもらいます。今年4月に92歳で亡くなったフジコ・ヘミングの晩年を描いたドキュメンタリー映画が現在公開中です。ピアノ、恋、おしゃれ。最期まで自分らしさを貫いた彼女の姿が、そこにはありました。
「いつの時代も、どこで暮らしても、私は私らしく生きた」
幼い頃からピアノの才能を開花させ、17歳でピアニストとしてデビューするも、世間に認められるようになったのは60代後半。1999年に『奇蹟のカンパネラ』でCDデビューを果たすと、〝遅咲きのピアニスト〟として世界中にフジコブームを巻き起こします。
「人生なんて、うまくいかない事の方があたりまえ」。穏やかな表情でそう語る彼女の人生は、波乱に満ちたものでした。16歳で右耳の聴覚を失い、無国籍のハンデを乗り越えドイツにピアノ留学を果たしますが、苦しく貧しい生活が続きます。その暮らしは、食べ物はジャガイモだけ、時には砂糖水だけでしのいだというほど過酷なものでした。突出した才能により大きなチャンスを引き寄せた38歳の時、リサイタル直前に左耳の聴覚を失い、ピアニストとしての道は閉ざされます。常人であれば心が折れてしまう不遇に何度見舞われても、毎日4時間以上の練習を欠かさず、唯一無二の演奏スタイルを磨き上げてきました。
映画で描かれるのは、90代になっても変わらずレースやリボンを纏い、思い出の詰まった古い家で、愛する犬や猫と共に過ごす彼女の日常。「気持ちは今だに少女みたいなの」と語る一方で、「どうやって死ぬのかなと考える」と、ピアニストとして、人間として、残された寿命に静かに向き合う姿も描かれます。
サンタモニカ、パリ、東京の家を拠点に、世界中で年間60本もの演奏会を開き続けてきた彼女の日常は、新型コロナウイルスの流行で一変します。すべての演奏会がキャンセルになった自粛期間中には無観客コンサートをWOWOWで放送。自粛が明けると、杖や歩行器に頼りながらも求められる地へと向かい、演奏会を再開します。その原動力は、「世の中を元気づけたい」「音楽が、人生に失望している人の慰めになれば」という思い。「辛い時苦しい時、音楽のおかげで悲しみを乗り越えられてきた」。そう語る彼女が奏でるピアノの音色は繊細で力強く、聴く人の魂を震わせます。
history
1931 ドイツ、ベルリンで誕生。父はスウェーデン人画家・建築家、母は日本人ピアニスト
1936 日本に移住。ピアノを始める。日本に馴染めなかった父はスウェーデンへ帰国。母がピアノ教師をしてフジコと弟を養育する
1947 16歳の時に中耳炎をこじらせ右耳の聴覚を失う
1953 東京藝術大学音楽学部在学中にNHK毎日コンクール入選。藝大卒業後本格的な音楽活動を開始。留学を希望するもパスポート申請時に無国籍であることが発覚
1961 西ドイツ赤十字社に認定された難民として、現ベルリン芸術大学に留学。卒業後は欧州各地で音楽活動を続ける
1969 風邪をこじらせ左耳の聴覚を失う(治療の結果、左耳のみ40%まで回復)。ピアノ教師をしながら欧州各地で演奏活動を続ける
1995 日本に帰国しコンサート活動を開始。1999年放映のNHKのドキュメンタリー番組を契機に、デビューCD『奇蹟のカンパネラ』は200万枚を超える大ヒット
2024 4月21日、膵臓がんのため死去。享年92歳
フジコ・ヘミングさんに憧れている人
タレント・歌手 LiLiCo さん
「ほぼ仕事がなく悩んでいた頃、同じスウェーデンと日本の血を引くフジコさんをテレビで拝見し、根拠なく運が向いてきた気になりました。ピアノの音色は一音ずつに人生が詰まっていますし、「自分は自分」という考え方、鍛錬を怠らない姿にパワーをもらっています」
『クウネル』2024年11月号掲載 文/吾妻枝里子
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