映画やファッション、文学や音楽など各シーンを独自の美意識で見つめ続けてきた、コラムニストの中野 翠さんがおすすめシネマについて語ります。今回は、カンヌ国際映画祭に正式出品されている、1920年代の美しいイギリスの邸を舞台にした話題の恋愛映画をご紹介します。
中野翠/なかのみどり
コラムニスト。
映画や本、落語などの評論のほか、社会・事件に関する批評を手がける。著書に「まさかの日々」(毎日新聞出版刊)など。
恋を通して少女は「女」へ。
久しぶりにヒネリのきいた、一筋縄ではいかない恋愛映画を観たなあという感じ……。カズオ・イシグロ絶賛の小説を映画化したものだという(原題は『マザリング・サンデー』)。
物語の舞台はイギリスの郊外にある、 由緒ある名家の邸。ヒロインは、そこでメイドとして働く、まだ少女と言ってもいいようなジェーン(オデッサ・ ヤング)。孤児院育ちで、この邸に働きに出されたのだ。
三月の日曜日。イギリスのメイドが 年に一度の里帰りを許されるという、ありがたい日なのだが、ジェーンには 帰るところがない。ふとしたことから近隣の邸の跡継ぎ息子・ポールと知り合い、秘密の関係を続けるようになったのだが……という話。
監督/エヴァ・ユッソン 出演/オデッ サ・ヤング、ジョシュ・オコナー 5月27日、新宿ピカデリーほか、全国公開
©CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION, THE BRITISH FILM INSTITUTE AND NUMBER 9 FILMS SUNDAY LIMITED 2021
緑豊かな田園風景の中に小さなお城のごとく建っている邸。格式に縛られた中で育ってきたポールは他家の一人娘のエマと婚約中。第一次世界大戦で戦死した兄に代わっての婚約なのだった。
そんな窮屈さもあって、ジェーンに惹かれたのだろうか。まだ少女と言ってもいいジェーンは急速に「女」にな ってゆく。その描写が一番の見どころかもしれない。
邸の中で一人になったジェーンが一糸まとわぬ姿で探索する場面が鮮やかに印象に残る。とりわけ格調高き書斎でタバコをくゆらせるシーンが印象的。
アンティーク好きの観客にとっても、 たまらないシーンだろう。ある日、ジェーンが満ち足りた気分で自転車で勤め先の邸に帰ると、信じがたい知らせが待っていた……!
まるで天国から地獄へ といった展開。たった一日のことだったのに……
画面を見ながら、フト思った。私にも人生を大きく左右する「特別の一日」って、あったかしら!と。どうも、無かったような気がする。まさに幸か不幸か……。
文・イラスト/中野 翠 再編集/久保田千晴