【元ミス日本の犬と猫の物語】脱走した姉妹猫のかたわれは近所で幸せに暮らしていました
「ペットの存在は、癒しや笑顔、生き甲斐を与えてくれ、アニマルセラピー効果以上のものを受け取っている」と話す伊藤さん。神奈川・葉山で子ども達とともに育った歴代のペットについて思い出を語っていただきました。特に印象深かったのは、保護猫ミャーコの不思議な縁について。
目 次
ペットを飼うことは子育てと同じ。 正解はなく、後悔はつきもの
養父母が動物好きだったこともあり、物心ついた頃からずっと犬を飼ってきました。離婚後に葉山に移住してからも、犬5匹、猫1匹を飼い、子ども達もペットと一緒に育ちました。私にとってペットは共に暮らす大切な家族。ペットがいることで家は和やかな空気に包まれ、家族が自然に笑顔になっている気がします。
この年になって、ときどき昔飼っていたペットたちのことを思い出します。
昔は子育てやシングルマザーとして生活を支えるための仕事に追われ、今ほどは時間や気持ちにゆとりがなく、あの子たち(ペット)に「もっとああしてあげればよかった」と反省することも……。とはいえ、甘やかしたり、躾を厳しくしたりしたら、それはそれで、後悔したと思いますし、その点は、子育てと同じかもしれませんね。
息子の飼い犬を引き継いだブッチ
ブッチは、もともと息子の犬。レドがシニア犬になったころ、横浜で一人暮らしをはじめた息子がフレンチブルドッグの仔犬を飼い始め、我が家に寄ってはレドと遊ばせていました。会社にも毎日連れていくほどに溺愛していたのですが、息子が結婚し、お嫁さんが妊娠してからは、ひんぱんに我が家でブッチを預かるようになりました。
次第にブッチが我が家を気に入り、ゴールデンのレドとも仲良しに。我が家を離れたがらなくなったので、そのまま私が飼うことになりました。その頃は娘も巣立って私も一人暮らしになっていたので、犬2匹(レドとブッチ)と毎日2時間の散歩の楽しみながら、気ままに過ごしていました。
レドを看取り後、不調のブッチは自己流ケアで回復に
ブッチが我が家に来て数年後、ゴールデンリトリバーのレドが先に亡くなりました。レドの具合が悪くなってからは、リビングに布団を敷いてブッチと私、川の字になって一緒に寝ていました。最期も私に体をなでられながら静かに逝きました。10歳でした。
その後しばらくしてから、レドが居なくなったショックからか、ブッチがひきつけのような発作を起こすようになりました。初めは医者に診てもらって薬を飲ませていたのですが、容態が改善せず、投薬をやめました。発作が出たら慌てずにゆっくりと体をさすったり、抱いたりし、落ち着かせていたら、自然と回数が減っていきました。その後、近くに越してきた息子がブッチをまた引き取りたいといい出し、息子一家に委ねました。孫たちに愛され、10歳まで元気に過ごしたようです。
保護猫2匹を家族に迎えたその日に事件が
娘が中学生の頃、知り合いのアメリカ人宅の玄関先に子猫2匹(姉妹)が捨てられていたそうで、我が家で引き取って欲しいと頼まれました。当時、我が家は庭で野良の子猫を保護して育てていたため、逗子で猫の保護活動している団体に一旦預かってもらおうと連れて行きましたが、施設は満杯。保護団体の方に「引き取って欲しい」と頼まれ、注射等済ませて2匹をケージに入れ、我が家に連れて帰りました。
しかし、ケージを開けた途端に2匹のうち1匹が庭に逃げてしまって見つからず、残った1匹をミャーコと名付けて我が家の室内で買うことに。それから25年も長生きしてくれました。
生き別れたかに思えた姉妹猫が、まさかの!?
ミャーコが亡くなる数年前、近所の猫好きな方が我が家にいらした際、その方が保護した猫がとてもミャーコに似ているといわれました。ミャーコは時折2〜3日帰らないことがあり、そのことを伝えたら、その方のお宅に行っていたことが判明。
なんと!我が家から脱走したもう1匹の猫を、その方が保護していました。そして、その猫にミャーコが会いに行っていたのです。脱走した子猫が無事に保護され、元気に生きていたことを知ってホッとしました。
ミャーコは20年以上生きてくれました。そして、ミャーコが亡くなった数日後にその姉妹猫も亡くなったと知りました。今も一緒に天国で仲良く過ごしているのかな、と思います。
取材・文/坂口みずき
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この記事の
プレミアムメンバー
伊藤千桃
1950年ジャカルタ生まれ。インドネシアと日本のダブル。「桃花源」の屋号で、神奈川県・葉山の自宅をベースにお弁当ケータリング、バーベキューサービス、民泊などを行う。著書に『千桃流・暮らしの知恵』(主婦の友社)が。
Instagram:@toukagenhayama