角田光代さん【人生最高の買い物】。失恋を機に始めたボクシングのグローブ、そして安西水丸さんとの思い出

自分にとっての買い物って?多岐にわたる買い物で経験を積んだクウネル世代の素敵なあの人に『人生最高の買い物』について紹介していただく第二弾。失恋をきっかけに始めたボクシング、尊敬する先輩が教えてくれたもの、旅先での出会い......。それぞれの最高の買い物ストーリーを角田光代さんにお話しいただきます。

買い物は自分の内面をはかるバロメーター。

「じつは買い物があまり好きじゃないのかもしれません」と、角田光代さん。「例えば、電化製品を買うのは苦手です。 種類がありすぎるし、お店がうるさいし、 店員さんの説明では私の知りたいことがわからないし。スーパーも家から歩いて行ける範囲に6軒もあるのに、ここと言えるところがない。だから行くのが苦痛で、精肉店、青果店など個人商店を回っています」

それでもときどき、買い物が大きな楽しみになることがあるそう。 「常備のカツブシがなくなると、〝あそこへ買いに行ける〟と嬉しくなって。行ったらついでにあれも見て、とワクワクするんです。でも、そういうときって、 自分が何か辛いときなんですよね。元気であれば、普通にリストアップして普通に買いに行けるもの」

買い物はときどきの内面をはかるバロメーターにもなっているようです。その中で角田さんにとって、人生最高の買い物をうかがうと、4点の品々を挙げてくださいました。

『Winning のボクシンググローブ』

ジムで購入した、金糸でMITSUYO KAKUTAと刺繍された『ウイニング』のボクシンググローブ。

ひとつめは、失恋をきっかけにはじめたボクシングのために購入したボクシンググローブ。「失恋の大きな痛みに耐えられる強い心を養うには強い体が必要だ、体を鍛えようと一念発起。近所でジムを探し始めました。でも初めて今のボクシングジムで練習を見学したとき『これは私には無理』と思って......」まずは道具を揃えてしまおうと決心をした角田さん。

「買ってしまえば続けられるだろうと、 2001年に黄色いボクシンググローブを買いました。おかげさまで続けることができ、2005年に直木賞受賞の記念に2代目の赤いグローブをジム仲間からいただいて。それもボロボロになったので、2015年からは今の3代目の白いグローブを愛用しています」

『THE NORTH FACEのトレイルランシューズ 』

「路上のランより山を走るトレイルランのほうが好きです。トレイルランシューズは底が滑りにくく、重さも少し軽くなっています」。コロナ禍以降は残念ながらしばらく走っていないそう。

ふたつめは、2018年のトレイルラン大会に履いて出場したトレイルラン用のシューズです。「私はひどい外反母趾で、あまりシュー ズの選択肢がなく、とにかく幅が広いものを探しました。そこに中敷きを入れたり、穴を開けたりと、特別な仕様にしています」

『安西水丸さんの版画』

安西水丸さんの版画はスポットライトの当てられた玄関脇のコーナーに。「水丸さんは毒舌で、かっこ悪いことが大嫌いな方でした」。

さらに、親交のあった安西水丸さんの版画も思い入れのある買い物でした。

「世田谷文学館での大規模な回顧展を見に行って、水丸さんってすごい方だったんだなと改めて思いました。例えば余白を大事にした版画の構図は、いただくメールにも共通していて。本文の後、長い空白の下にぽつんと署名があるのを、私は打ち間違いかと思っていたのですが、 あの余白は、メールの中ですら自分の美学を貫いていたんだなと。知らず知らずのうちに、いろいろなことを教わっていたんだと気づきました」

安西さんの版画は〝その気づきを忘れるなよ、自分〟という意味から、購入を決めたものです。

『水曜日の神さま』

「小さいから圧迫感がなくてゆるやかなよさがある。あえて仏さまではなく、水曜日の神さまと呼んでいます」。

もうひとつ、小指より小さな仏像は、1999年にミャンマーの仏教の聖地で 200〜300円で買いました。「ミャンマーで信仰されている上座部仏教では、曜日ごとに司る仏さまがいて、 私も生まれ曜日の水曜日の、一番小さな仏さまを買いました。でも帰って調べたら、水曜日の仏さまは座っているらしい......あれ?と思いましたが、そのまま仕事場に飾っています」

その一角には、故向田邦子さんの飼い猫をかたどった文鎮や頂き物の招き猫、 台湾で買った仕事のお守りも。

「私を見守ってくれる物たちの『見守りコーナー』のような。仕事で大変なとき に、〝助けてください〟とお願いしたりはしませんが、何か意識はしています」

角田光代/かくた・みつよ

作家
1967年神奈川県生まれ。2005年『対岸の彼女』で直木賞受賞。『八日目の蝉』『紙の月』など映画化された作品も多い。近作『方舟を燃やす』は信じることの意味を問い直す力作。今秋 現代語訳した『源氏物語』の文庫版8巻が完結。

『クウネル』2025年1月号掲載 写真/玉井俊行、取材・文/原千香子

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『クウネル』NO.130掲載

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