伝説のおしゃれミューズ小林麻美さん×写真家シトウレイさん対談/前編「10代の頃からサンローランが好き」

これから先、どう歩いていけばいい? そのヒントを求めて小林麻美さんを後輩世代、写真家・シトウレイさんが訪問。人生が楽しくなるヒントを教えていただきました。

年を重ねることから目を逸らさず、進むべき道を探しながらいつも自分らしく。

伝説のおしゃれミューズ・小林麻美さんを訪ねたのは、世界中のファッションシーンを取材するシトウレイさん。小林さんが寄贈した『サンローラン』のコレクションが飾られた、資料室に伺いました。

小林さん(以下敬称略)

アイドル歌手をやっていた10代の頃、デパートの屋上で歌っている写真が出てきたんですが、『サンローラン』を着ているの。当時の衣装は私服だったから好きなものを着ていただけなんだけど、今思うと生意気よね。

シトウさん(以下敬称略)

『サンローラン』に惹かれるようになったきっかけは?

小林

初めて訪れた18歳の頃は、青山に深夜まで開いているショップがあって、おしゃれな人が集まっていたの。モデルのギャラで思い切って最初の1着を買って、そこから少しずつ、好きなものを買い足してきました。

シトウ

10代の頃から、好きなものが明確だったんですね。おしゃれのイメージソースは何だったのでしょう?

小林

中学生の頃からフランス映画が好きでした。『若草の萌えるころ』のジョアンナ・シムカスに憧れて、あんな風にトレンチコートを着たいな、あんな恋愛がしたいなと思っていました。

シトウ

随分と早熟だったのですね。

小林

7歳上の姉がいたので、その影響が大きかったのかもしれません。太宰治をはじめ退廃的な文化に憧れていました。家庭環境が複雑だったこともあり、10代20代はすごく暗かったんです。

シトウ

複雑な環境と繊細な内面が、小林さん独特の魅力を作っていたんですね。

小林

コンプレックスだった高身長が長所に変わったり、暗さを魅力として引き出してもらったり、モデルの仕事を通してようやく自分の居場所を見つけたのかもしれません。20代はいつも迷いや焦りを抱えていた気がしますが、子供を産んだらやれオムツだお弁当だと、自分の生き方を悩む時間がなくなった。そこからまた新しい人生がスタートしました。

Asami Kobayashi’s story

15歳 スカウトされモデルデビュー

フランス映画に憧れ、銀座の映画館に1人通っていた15歳の頃。「太宰治が好きだったり家庭環境が複雑だったこともあり、とにかく暗い少女でしたね。この頃からおしゃれは好きでした」(写真提供 小林さん)

22歳 本格的にモデル活動をスタート

「ナウファッションエージェンシー」に在籍しモデルとしてリスタート。(anan 1977年7月20日号 マガジンハウス)

1976年には石岡瑛子がディレクションしたパルコの広告で魅力を開花。雑誌で次々と特集が組まれるなど、おしゃれミューズとして憧れの存在に。(anan 1985年5月24日号 マガジンハウス)

37歳 芸能活動を休止

妊娠、出産を機に芸能活動を休止し育児に専念。「子供のことに追われていると自分のことをあれこれ悩む暇はないし、私にとって子育てはひたすら幸せな時間でした」。写真は43歳の頃。(写真提供 小林さん)

62歳 クウネルの表紙に登場

25年ぶりにメディアに登場し大反響。「息子が就職して家を出て、これから何をしよう?って思っていたタイミングでモデル事務所の社長と偶然再会したんです。不思議といろんなご縁が重なって今に至ります」

PROFILE

小林麻美/こばやし・あさみ

東京都出身。1970年代からモデル・歌手・俳優として活躍した、クウネル世代のおしゃれミューズ。’91年に出産を機に引退。2016年、本誌にて25年ぶりに活動を再開。写真や執筆など多岐にわたる才能を発揮している。

シトウレイ/しとう・れい

石川県出身。『何を着るか、ではなく、どう着るか』をモットーに毎シーズン世界各国のコレクションへ赴き、本人の審美眼に適ったスナップフォトを発信する。YouTube「シトウレイチャンネル NEW!!!」も好評配信中。

『クウネル』2024年11月号掲載 写真/土屋航、ヘア&メイク/北一騎、取材・文/吾妻枝里子、撮影協力/公益財団法人日本服飾文化振興財団


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『クウネル』NO.129掲載

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