2014年より愛媛で暮らしはじめた、池田じゅんみさん(@junmiikeda)。小さい頃から自然での暮らしに憧れながらも、ずっと都会で過ごしてきましたが、30代半ばで愛媛に移住を決意。今は、小さな自給自足をしながら、大好きな愛媛で楽しい日々を送っています。
移住を決めてから、今のライフスタイルに至るまでどのような出来事や葛藤、大変なことがあったのでしょうか。全4回にわたるショート連載で、池田さんの移住ストーリーをお届けします。vol1.の移住準備編に引き続き、移住前の葛藤や大変だったこと、経済状況の変化など、リアルなお話をお聞きしました。
池田じゅんみさんの移住ストーリー
転勤が多い夫に合わせて、一時的に広島へ引っ越しながら、愛媛にお家が建つのを待っていた池田さん。着々と移住準備をしながら、2014年3月についに新居が完成しました。いよいよ池田さんは4歳の息子と2人で引越し。ここで夫と離れ、夫婦別々の暮らしがスタートします。
◆不安いっぱいのワンオペ育児
「息子は兵庫で幼稚園に入ってから、わずか6ヶ月で引っ越しとなりました。これから人間関係が深まっていきそうなときでした。数か月しか通えなかったのに、お別れ会までしてくれて。息子は当時3歳でしたが、お友達と離れることを感じていたようで、とても寂しそうにしていました。さらに移住してからは、息子はよく『パパに会いたい』と電話をかけては、パパの声を聞いて大泣きしていました。このときが一番胸が痛かったのをよく覚えています。息子の大泣きが伝染して、私も一緒に泣いてしまう時も。本当に移住して良かったのか?と自問自答を繰り返す日々でした…」
「移住前から不安で仕方なかったワンオペ育児は、やはり想像以上に大変でした。私の体調が悪いときは特につらかったです。これまで、両方の両親に頼らず、できるだけ夫婦2人でなんとかしてきたので、そもそも人に頼ることにも慣れていなかったんですよね。離れている夫と力を合わせて、ギリギリで乗り越えてきました。そのうち、ご近所に頼れる人がどんどん増えていって、本当に有り難かったですね」
◆他にも色々あった!新生活で困ったこと
4歳の息子との2人暮らし。知り合いがたった1人もいない土地での生活は、やはり苦労も多かったようでした。
「愛媛での土地勘が全くないので、最初はどこに行くにもおろおろ戸惑いました。友達がまだできていない時期は、小児科の病院探しから、幼稚園の遠足の現地集合の場所まで、ネット情報だけが頼りでした。また、基本的に夫が不在なので、エアコンやアンテナの取り付け、浄化槽設備のやりとりなど夫に頼りたいことを1人で対処しなくてはいけないことも大変でした。特に機械音痴だったので、いちいち困りました」
◆年に2〜3回は海外旅行へ。移住後の経済事情の変化は?
田舎が都市部に比べて比較的物価が安いのは周知の事実ですが、物価だけではなく、固定費や教育費などのさまざまな費用の負担額が、都会で暮らしていた頃よりもかなり減ったそうです。池田さんにお話を聞くと、こんなにたくさんの費用が安くなっていました。
・のどかな街で、お店が少なく誘惑も少ない。自然と浪費が減った
・オール電化住宅で太陽光設備を取り付けたので光熱費が相殺された
・都市よりも涼しく快適な時間が多いので、クーラーの稼働時間が少ない
・節水節電の設備を入れたので、自動的に光熱費が安い
・自家用車の月々の駐車場代が不要になった
・冬は薪ストーブがメイン(薪も自分たちで調達)
・自宅の庭で野菜やハーブや果樹などを栽培していたり、色んな方からのおすそ分けなどで、常に新鮮な食材が豊富。自然と食費が減った
・近くに海と山があるので遠出する必要もなくなり、レジャー費が浮いた
「単身赴任での費用は余分にかかりますが、支出がシンプルになり、車のローンを2年足らずで完済できてしまったことはうれしい驚きでした。このようにいろいろ浮いた費用で、大好きな海外旅行に毎年行けるようになるなんて、移住前は全く想像もしていませんでした。コロナ禍になる前は、年2~3回は家族で海外旅行に行っていました。利用している松山空港や近隣県の各地方の空港は、コンパクトで迷わないし、ほとんど混雑もなくて快適なところもとても気に入っています」
次回は、愛媛や今の暮らしが大好きという池田さんに、移住してよかったことをお聞きします。(vol.3に続く)
池田じゅんみさん
2014年に愛媛へ移住。今は、フリーランスで在宅デザインの仕事をしながら、小さな自給自足の暮らしを行っている。その素敵なライフスタイルをインスタグラムで発信中。夫は単身赴任中で、11歳の息子と2匹の愛猫(保護猫)と暮らす。
Instagram:@junmiikeda
取材・文/阿部里歩