【元ミス日本と保護犬の物語】悲惨な状態だった元繁殖犬は、薬草酒などでケアして元気に
「ペットの存在は、癒しや笑顔、生き甲斐を与えてくれ、アニマルセラピー効果以上のものを受け取っている」と話す伊藤さん。葉山で子ども達とともに育った歴代のペットについて思い出を語っていただきました。
前記事【元ミス日本の犬と猫の物語。脱走した姉妹猫のかたわれは近所で幸せに暮らしていました】に続き、伊藤千桃さんのペットとの物語をお届けします。
第2弾は、フレンチブルドッグのブリジット(ブリちゃん)の話。若い頃、繁殖犬として生きたフレンチブルは、引き取ったときは、痛々しい状態だったと振り返ります……。
繁殖犬という過酷な背景
ブッチを息子に委ねた後、ニュース等で保護犬のことを知り、娘がNPO団体を探したところ、ちょうどフレンチブルの繁殖犬が保護されていました。高齢なって繁殖犬としては使い物にならなくなり、捨てられていたそうです。引き取りたいと申し出たところ、1週間のトライアルが決まりました。
我が家にきたその犬は痩せ細り、声もでず、お腹には生々しい手術の跡がありました。初めて保護犬の悲惨さを目の当たりにして絶句し、1週間で戻すことなどできず、そのまま我が家で引き取ることを決めました。
痛々しい状態だった保護犬を、自家製薬草種などで手当て
引き取った時は保護団体がつけた千代子という名前がありましたが、もっと華やかな名前にしようと思い、フランスの女優のブリジットバルドーと名付け、通称はブリちゃんに。すぐ獣医師にみてもらうと、耳は詰まっていて難聴状態、爪も伸びきっていて、吠え声が出ないよう声帯は切られていました。お腹にはタコ糸のようなもので幾つも縫われた跡があり、出産の際に悪質なブリーダーが切開し、乱雑に縫ったものだろうとのこと。
先生からは、どのくらい生きられるかわからない、とまで言われました。何年も狭い檻の中に入れられたままだったようで、足腰が弱く、よたよたで歩くこともできません。はじめのうちは心を閉ざし、無反応だったのですが、段々と懐いてきて、切られていた声帯も回復して声が出るようになりました。
自家製の薬草酒を与え、耳を掃除したりしているうちに、すっかり元気を取り戻し、歩き回れるようになり、その後もみるみる元気に。シニア犬とは思えないほどに庭を走り回り、9年ほど共に過ごす事ができました。
同時期に飼っていた猫のミャーコと一緒に遊ぶことはありませんでしたが、互いに認め合っているようで、喧嘩をすることはありませんでした。我が家に来て8年目頃から足腰が弱って歩けなくなり、猫のミャーコが亡くなった3か月後にブリちゃんも天に召されました。とても穏やかで眠るような最期でした。
最後のペット?2代目フレンチブルのジゲン
ブリちゃんが亡くなった後、1年ほどはペットがいない生活でしたが、やはり淋しくて、しばらくは保護犬を探しました。しかし、そのときは保護犬とは条件などがなかなかうまくマッチング出来ず、ただただ月日が経っていきました。
そんなときに、食材の買い出しでよく行く商業施設のペットショップで黒いフレンチブルをみつけました。まわりの可愛い犬達が次々に引き取られていくなか、その子だけがなかなか売れずに残り、「だんだん大きくなっているのがわかって可愛そう」と、娘が購入を決意。
ジゲンと名付け、今は大事な我が家の一員になっています。家族の中で、いちばんの甘えん坊さんで自分を犬と思っていないようです。友人が犬を連れて遊びに来た際も、「おまえ何者?」と言わんばかりにワンワン吠え続ける始末。その犬が遊ぼうと近づいてきても目をそらし、最後には目を閉じて、いないものを思い込もうとしていました。お馬鹿さんですよね。そういうところも可愛いです。
インフォメーション
【2月16・17日】いとよし出版記念「行事と楽しむ暮らし」展開開催。
伊藤千桃さんとのコラボワークショップの様子も展示されています。
千桃さんのオリジナルハーブティも販売。
取材・文/坂口みずき
SHARE
この記事の
プレミアムメンバー
伊藤千桃
1950年ジャカルタ生まれ。インドネシアと日本のダブル。「桃花源」の屋号で、神奈川県・葉山の自宅をベースにお弁当ケータリング、バーベキューサービス、民泊などを行う。著書に『千桃流・暮らしの知恵』(主婦の友社)が。
Instagram:@toukagenhayama