家は3度建てないとわからないと言われますが、これまで自分のために建てた家は7軒。そんなパワフルな女性〈クウネル・サロン〉プレミアムメンバーの井手しのぶさん。井手さんの家づくり顛末を6回にわたりお届けする連載第2回目・後編です。結婚後、2軒目に住んだ家ですが、とある事件で転居を考えることとなり……。
結婚後2軒目に住んだ家はセミオーダー住宅。ベースの仕様の間取りを変更したり、建具や外壁を変えてもらったりで、自分たち好みとなり、家族3人と愛犬と5年間暮らしました。ですが、ちょっとした事件が起きて転居を考えざるを得なくなり……。
「息子が学齢期になり、少し離れた小学校に通いはじめました。最寄駅から電車に乗って藤沢で乗り換えるのですが、あのころのラッシュは今とは比べものにならないすごさ。ある朝、電車とホームの間に落ちてしまったんです。小さいからわずかな隙間にストンって。幸い体の割に大きなランドセルが引っかかって線路までは落ちませんでしたが、宙ぶらりんに。大事に至らなくてよかったけれど、知らされた時は血の気が引きました」
そんな小さな大事件が引き金となって、今度は学校近くの藤沢・鵠沼エリアで土地探し。建築条件付には懲りたから、もちろん条件なしで。そんな慌ただしい日々を送っていたころ、愛犬サンタに異変が生じた。食欲はあって元気なのに、なぜか足が踏ん張れず立っていられない。リンパ癌だった。病院を3軒回ったけれど、余命は6カ月と診断された。
「家族と同じ存在でしたから、なぜ?って自問し続けました。リンパ癌の原因は未だに確定されていないけど、その時私が疑ったのは家に使う新建材から放出される化学物質。まだシックハウスが注目される前で、なんの規制もなかった時代。業者はいくらでも新建材が使え、新築の家に入ると特有の化学的なにおいがしたり、目がチカチカすることも普通にありました。それまで住んだ2軒の家も御多分に洩れずビニルクロスの壁に合板のフローリング。接着剤にだってホルムアルデヒドが含まれていたはずです」
犬は人間より小さいから影響が出たのかもしれない。サンタに謝りながら、「今度の家では新建材を使わない」と決めた。鵠沼で見つけたのは58坪の土地。1階をLDKにして、上に寝室と子供部屋。リビングの壁には漆喰を塗り、床はパインの無垢材。当時、無垢材のフローリングがまだ一般的でなかったから、大工職人に刻んでもらい、床材に仕上げた。一から十まで本格的に自分でデザインした初めての家。とはいえ現実は厳しくて、かけられる予算の上限は2千万円。2階は泣く泣く無垢をあきらめた。でも外壁はモルタルにこだわり、1階だけでも自分の理想を実現できたから大満足。おまけに 遊びに来た息子のママ友から「井手さんみたいな家を建てたい!」と熱烈ラブコール。仕事として建てた家第一号がなんと自宅隣りに完成した。
「ところがそのころ大手建設の下請けをしていた夫の実家の会社が危なくなり、給料が出なくなったんです。ローンはあるし、はたと困ってとりあえずは愛車のボルボをオークションで売りました(笑)」
でも捨てる神あれば拾う神あり。庭仕事をしていたら近所の人から声をかけられ、「こういうナチュラルな家を建ててほしい」と再び依頼が舞い込んできた。そこでまたまた一大決心。
「自分たちで会社を始めよう!」
1996年、パパスホームが誕生した。
■■これまでの記事 ■■
【女ひとりで家を建てる①前編】自分のために7軒もの家を建てた女性の家づくりの記録。
【女ひとりで家を建てる①後編】海のそばに住む夢を実現すべく家を建てたものの……。
【女ひとりで家を建てる②・前編】自分の家を7軒も建てるまで色々ありました。
『ku:nel』2016年5月号掲載
撮影 川俣満博/取材・文 佐々木信子(tampopo組)