柔和になったり、物分かりがいい人になることが成長ではない。平松洋子さんが大切にしている本から学ぶ、大人の成熟とは?【成長するための読書案内】
読書を通じて他者の多様な考えに触れて、人は大人になっても自分を見直し、変わっていくことができます。本がもたらす発見と喜び。読書好きな人に聞いたあなたを成長させた本とは。エッセイスト・作家の平松洋子さんに伺いました。
教えてくれた人
PROFILE
平松洋子/ひらまつ・ようこ
エッセイスト、作家
1958年岡山県倉敷市生まれ。 近著に『週刊文春』での連載をまとめた食エッセイ『赤いするめ、黒いするめ』(文春文庫) がある。講談社エッセイ賞、読売文学賞など受賞多数。
誰にもある根源的な核にふれる読書体験。
〈ゲド戦記〉シリーズや〈西のはての年代記〉シリーズなどのSF作品で知られるアメリカの作家、アーシュラ・K・ル=グウィンが晩年に書いたブログの記事。そこからの四十数編をまとめたエッセイ集『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて』は平松洋子さんにとって、何度も読み返す大切な1冊です。
80歳少しで始めたブログ。愛猫と共にある日々の暮らしから歴史、哲学、文学までさまざまなテーマが、ル=グウィンの豊かで広範な知性と見識に裏打ちされた文章で、ときにユーモラスに、ときに怒りをこめて解き明かされていきます。
卒業60周年の節目の同窓会の前に大学から送られてきたアンケート。そこに「余暇には何をしますか?」という問いがありました。主に80代を迎えている卒業生が余生をどう過ごしているかを問う質問に、ル=グウィンは本のタイトル通り、答えたのです。
「確かに老いのときを迎えて時間はできるかもしれないけれど、それは余っている時間じゃない。生きているというのは考え続けること、だから暇なんかじゃないのよ、という彼女の明快な考え方がここにはあります。『若い者には、年寄りは務まらない』という一文には皮肉も効いています。老いを否定するのではなく、若さを称揚するわけでもない。肯定感もあるし、ユーモアもあって、まさにル=グウィンならではの言葉です。この明晰さと鋭さに、読むと頭の中に風がぴゅーっと吹き渡るような気持ちになります。痛快です」
63歳で読んだ
『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて ル=グウィンのエッセイ』
アーシュラ・K・ル=グウィン著
谷垣暁美 訳
SFの女王と呼ばれた著者の生前最後のエッセイ集。ファンタジーの法則、植物の感受性から愛猫パードとの暮らしまで、数々の傑作を残した作家の思索に触れる。2018年ヒューゴー賞受賞。河出書房新社
平松さんも自身の年齢や体力の限界と向き合う年代にさしかかってきました。編集部が問いかけた「成長するための読書」というテーマについてもいろいろな思いが交錯したと言います。
「以前と比べると無理ができなくなったり、調べものに時間がかかったり、身体的な老いを実感することはあります。でもそういう変化を否定するのではなく、自然なことと受け入れたうえで今自分ができることは何なのかを考えたい。この先限られた中で何を優先していけばいいのか。目標を据えて成長を目指すというより、今のことに注力していたら、結果として何かが更新されていた、そういう積み重ねができたらいいな、と思っています」
「若者に年寄りは務まらない」とル=グウィンが書いた通り、体力や集中力は落ちるかもしれないけれど、時間や経験、その間に経て来た葛藤や思索が、若者とは違った形で世界を理解する手がかりとなっているのかもしれません。
この年齢になったからこそわかる本との出会いがあります。
2冊目に平松さんが挙げてくれた『椿の海の記』は、まさに年を重ねてこそ心の真ん中にしみこんでくるような、豊穣な世界が描かれた石牟礼道子さんの代表作です。熊本県水俣市で昭和31年に公式認定された公害病・水俣病の惨禍を描いた『苦海浄土』で知られる石牟礼さん。本作はこの悲惨な環境破壊が起きる以前の水俣を、4歳の石牟礼さんの目から描いたもの。濃密な自然に囲まれた村に生きる人々、まだまだ貧しかった昭和初期の日本の農漁村での少女の記憶が豊かな熊本言葉と共に記されています。
「どんな人も心の中に核として持つ原初の魂のようなものが、本書には生息しています。ほとんど詩のような純度の高い文章で、だからこそ、石牟礼道子という人の世界と読む者の世界が共振します」
盲目で心に不調をきたした石牟礼さんの祖母の「おもかさま」。村のはずれにひっそりと暮らし、ある日突然、姿を消したハンセン病の家族。「山の神さん」「川の神さん」にことわってから木の実や魚などの実りをいただく人々の暮らし。21世紀の読者にとっては昔ばなしのようだけれど、100年足らず前の日本の風景なのです。
「今になってつくづく思うのですが、時空を超えたこの世界の豊かさを贈り物のように受け取れるのは、年を重ねたからこそ。昔読んだ本を再び開くと、自分なりの成長を実感することがありますね」
50代の半ばに読んだ
『椿の海の記』
石牟礼道子 著
代表作『苦海浄土』と並行して執筆され、1976年に出版された名作。4歳の「みっちん」の目を通して描かれる水俣の世界。ほとんど詩のような神話的世界はゆっくり味わいながら読みたい。河出文庫
『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』など多くの名作を生み出した脚本家の山田太一さんの1冊には、「いつも静かに、でもめらめらと怒っていた山田さんの反骨精神に共感します」と平松さん。
戦前に東京・浅草の食堂の息子に生まれ、筋金入りの〝庶民〟という立ち位置を生涯、貫き通した山田さん。早世した4人の兄、松竹撮影所での助監督時代の経験、愛読した多くの書物からの抜き書き。声高ではないけれど、「立っている位置と目線を全く変えることなく、じわっと異議申し立てをし続けた人の生き方、すごいなあと思います」
50代の終わりに読んだ
月日の残像
山田太一 著
雑誌『考える人』に連載されたエッセイ集。早世した母や兄、学生時代の親友だった寺山修司や助監督を務めた木下惠介監督らの記憶が繊細な筆致で蘇る。小林秀雄賞受賞。新潮文庫
3冊を著した3人に共通しているのは、成長することが柔和になったり、物分かりがいい人になったりすることではないということ。
「自分の中にある原初的で根源的なもの。ゆるがせにはできない魂に近いものをじっと見つめる、それもまた成長のひとつだと思います」
『クウネル』2026年11月号掲載
写真/久々江 満、取材・文/船山直子
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『クウネル』NO.141掲載
どんな大人になりたいか?
- 発売日 : 2026年9月18日
- 価格 : 1,100円 (税込)