なかなか捨てられない50代エディターがモノを手放し身軽になるために唱えた魔法の言葉【メロウライフ】

エディターの山村光春さんと、エッセイストの広瀬裕子さんによる往復連載。
「60代以降に使われる『シニア』という呼び方がどうもしっくりこない」という2人が、「私たちらしい人生の後半戦」について模索します。シニアでもなく、シルバーでもなく……。だったら「メロウライフ」なんていかがでしょう?
今回は「ものを手放し、整理する」がテーマ。引っ越すたびに自然と身軽になっていった広瀬さんに対し、山村さんは捨てることへの葛藤が大きかったそう。でも友人からのある言葉で、捨て活スイッチがオン!手放したことで気付いたこともあったといいます。
捨て活へのバーニングワード「過去は過去!」
いったん、すべてのものを床にぶちまける。“見える化”と言えば聞こえがいいが、ただひたすらに散乱した部屋を見渡しながら、僕は揺らぐ決意にぐいと背中を押すように、大声である歌を口ずさむ。
曲名は「捨てることから始めよう」。作詞作曲は自分。どこかのアイドルの歌を切り貼りしたようなメロディ、捨〜てることか〜ら〜始めよ〜と繰り返す、いたって陳腐な歌詞だけど、一丁前に途中でラップのパートがある。そこでリズムに乗って連呼するのはこの言葉だ。
「過去は過去!過去は過去!」

引越し直前。トラックサイズの関係上、このままでは到底無理な段ボール40箱に荷物をおさめなければならず、1ヶ月前から断捨離計画は始まった。
僕がこの言葉を初めて耳にしたのは、パン屋を営む友人からだった。彼女はこのほど断捨離を決行&大成功し、すっかり自信をつけていた。引越しを間近に控えながらも、ものが捨てられずうじうじする僕に、その柔和ないでたちに似つかわしくないパンチワードを、次々と食らわせてくる。
「みっちーさん、それって持ってても意味ある?」「みっちーさん、ずっと使ってないんでしょ?だったら捨てようよ」
でもでもね、やっぱり捨てられないのは、写真や手紙、友人からもらったプレゼントなどの思い出。だよねだよね?と同調をうながす僕に、彼女はやれやれと諭すように言う。「もらってありがとうって気持ちをいただいたんだから、もう大丈夫。捨てていいから」「そんなに大事にして、じゃあこれからは何ももらえないってこと?」そしてきわめつけに「過去は過去!」と言い放った。
そうして、僕の断捨離熱がバーニングしたのだった。
手放すために用意したもの
まず買ったのは、折りたたみコンテナだ。

流通関係の仕事をしている人にはお馴染みの折りたたみコンテナ、通称「オリコン」。いろんなサイズがあるが、僕は部屋の押し入れに合わせて50リットル、530×366×325mmのものを6個購入。
必要なときに組み立てて使え、使わない時はコンパクトになる。引越しの際には段ボールの代わりに使えるし、かつそのまま押し入れに入れておいても見栄えがよく、頑丈なのも魅力だった。
これをまず「使ってはないけれど、捨てるには忍びないものを入れる箱」として活用することにした。景品でもらったトートバッグ、クリスマスの飾り付けに使ったランプ、骨折した時に使っていたハイテク松葉杖……どんどん放り込んでいくと、すぐにいっぱいになった。
一喜一憂したリサイクルショップ物語
日々この作業を繰り返し、6箱分積み上がったところで、友人に車を出してもらい、東京郊外へと向かった。そこには道をはさんで2軒のリサイクルショップがあり、僕らはまずGoogleマップで評価の高いほうに車を止める。
店内は明るく、ものがきちんとジャンル別に整理されていた。「買い取りですね!こちらに置いてください」黄色いポロシャツのスタッフは対応もていねいで、気持ちがいい。15分ほど待ち、ドキドキしながら結果を聞きに向かうと「買い取れるのはこれだけですねー」と明るく言う。しかしそこにあるのはたったの3点、金額は数千円也。思わず言葉を失った。
オリコンにぎゅうぎゅうに詰められた残りのもの、確かに使っていないものではある。だけれど捨てるには忍びないと厳選したもの。なのにそれらのほぼすべてが「価値なし」と見なされたことに、すっかり意気消沈。お昼ごはんのカツ丼も、あまり胃が受けつけない。「どうせどのお店もそんなもんだろう」とやさぐれる僕に、友人は「ま、でもいちおう行ってみようよ」となぐさめ、帰りに向かいのリサイクルショップに立ち寄ってくれる。“どうせモード”が引きずり、箱を車から出しすらしない僕にかわり、友人が買い取り依頼をしてくれる。

中身の見える半透明のものが便利だが、僕はダークブルーをチョイス。業務用っぽいけれどポップで、雑貨大好き人間にもササる色。
どこかほの暗く、雑然とした店内を徘徊しながら待つことおよそ20分。名前を呼ばれ、なんの期待もせずにレジに向かったところ、足もとには、なぜか一箱をのぞき、ほぼ折りたたまれたオリコンくん。くたびれた白いポロシャツを着た店長らしき男性がぶっきらぼうに差し出したのは、買い取るもののリストと値段。目を見張った。リストがなんだかやたらと長い!しかも付いた値段は数万円!!
思わず友人のほうを振り向いた。彼いわく「生涯最高の喜び、みたいなうれしそうな顔してた」という。そりゃそうだ、奈落の底に突き落とされてからの一発大逆転ですもん、叫びだしたくなるほどの大コーフンになるよそりゃ。やばい!泣きそうなんですけど僕。
手放し作業を経て気付いた大切なこと
この一連のエピソードから、僕は改めて深く問うことになった。「価値っていったい何なんだろう?」と。
誰かにとっては無価値でも、他の誰かにとってはとてつもない価値になることもある。大事なのは、それらを思い切ってまずは「市場に出す」こと。リサイクルショップでもいい、フリマサイトでもいい。とにかくものを溜め込まずに「回す」ことで気づくのは、まわりの評価なんてどうせ水もの。絶対的な価値なんてない、ということ。

最終的に僕が捨てずに大事にとっておいたものは、市場に出せばきっと価値が高くないであろうものばかり。でもそれでいい。
翻って、自分が大事にしている価値に気づける。大事だと思えばとっておけばいいし、そう思わなければ手放せばいい。そこがクリアになると、断捨離もきっとしやすくなるはずだと思うのだ。
~アフターメロウトーク~

山村さんの物とのつき合い方「なるほど」と思いました。わたしとちがうのは、わたしは「思い出」が苦手な点です。なつかしく感じると感情がそちらにいき過ぎるので、思い出の品は目につかないところに置くか、手放すか、にしています。卒業アルバムや卒業証書もありません。

なんと!それは潔い。過去の思い出にしがみついてる自分がダサく感じできました。