堤真一さんや野村萬斎さんといった魅力的な俳優たちをマネージメントし、 上質な舞台を制作する北村明子さん、そのエネルギーはどこからくるのでしょう?お話を伺いました。
演劇プロデューサー・北村明子さん
死ぬまで現役でいいんだって思えました。
北村明子さんは話題の舞台を次々と生み出し、多くの実力派俳優を擁するシス・カンパニーを率いて32年。その充実した仕事ぶり、生み出す作品のレベルの高さは衆目の一致するところ。
70代という年齢をまったく感じさせない存在です。そんな敏腕プロデューサーも「引退とか、このままでいいのかと考えたことはあるのよ」と言います。還暦を迎えたころ、はたと思ったのです。
自分がやめたとして、 スタッフはどうする、役者たちはどこの事務所に移ればいいのか、と。「一生懸命に考えたんだけど、自分のいなくなった後 まで段取りをつけるのって、厚かましいんじゃないか、って思ったの。彼らにとっても、ありがた迷惑かもしれないんじゃないかって」
そこから、一切、引退とか、やめることを考えなくなりました。「死ぬま で現役でいいんだ、倒れるところまで、 できるところまでやろう、そう思うことにしたのね」
舞台を企画するたびに、どの演出家と組むか、どの俳優が適役か、チケットは売れるかなどなど、さまざまな課題、難問が目の前に立ちふさがるはず。 どうやってその壁を乗り越えてきたのでしょうか。
「私は決断力が人一倍あるし、決めるのもとっても早いんです。10年経って振り返ったら、あの決断は早計だったとか、もう少し熟考していたら違う結末になったかも、ということはあると思います。でもそれは後になってわかること。そのときには自分の力量で判断するしかない。その結果がバツだったら、それは自分の力がなかったと思うしかないのよ」
今一番関心があるのは「死ぬこと。だって人生で一度も経験したことがないことだもの。自分では忘れていたけれど、私、以前『死ぬときはガンがいい』って人に話していたらしいの。だって、ガンなら戦って死ねるからって、言ったらしいんです。何かに向かっていくのが好きなんだなってあらためて思いましたね」
ちょっと疲れて、家にいたら気楽だろうなと思うときもあるけれど、現場 に来ると元気になってしまう。ばりばり現役の笑顔がはじけています。
北村明子/きたむらあきこ
演劇プロデューサー。
1947年京都生まれ。1989年にシス・カンパニーを設立。年4回ほど作品を制作。新国立劇場中劇場で三谷幸喜作・ 演出の『日本の歴史』を再演した。
『ku:nel』2021年7月号掲載
写真/森山祐子、取材・文/船山直子