秋の夜長は読書。翻訳家、文芸評論家・鴻巣友季子さん3選。 言葉に人生を左右される女たちの物語

著名人の方にクウネル世代におすすめの本を教えてもらう「私の読書時間」。今回は、翻訳家・鴻巣友季子さんにお話を聞きました。
PROFILE

鴻巣友季子/こうのす・ゆきこ
翻訳家、文芸評論家
1963年東京都生まれ。NHK「ラジオ英会話」のテキストの連載をまとめた『ギンガムチェックと塩漬けライム』(NHK出版)が好評。アトウッド著『ペネロピアド』、右ページ『ウーマン・トーキング』(ともに角川文庫)の翻訳書2冊も話題。
言葉に人生を左右される女たちの物語。
『嵐が丘』など古典の読みやすい新訳や、気鋭の現代作家の翻訳で知られる鴻巣友季子さん。新刊『ギンガムチェックと塩漬けライム』では、そんな新旧の海外文学の名作を、新しい視点を交え、読み解いています。
「特に大人になって古典を再読すると、懐かしいときめきとともに、これはこういう話だったのかという新鮮な驚きもあります。経験と時間を経た読書の楽しみを味わってもらえれば」

『ジェイン・エア』(上・下)
シャーロット・ブロンテ 訳/小尾芙佐
「ロチェスターは女性を自分の色に染めたがるような男性だったのに、失明して人に頼らざるをえなくなる。有害な男性性という視点からも読み解くことができる小説です」。光文社古典新訳文庫
自立した女性像が描かれる、19世紀のイギリスの長編『ジェイン・エア』もこの中で紹介されている作品の一つ。
「心理的にも身体的にも“閉じ込められること”が一つのモチーフになっていることに気づいたのは、やはり大人になってからです。子どもの頃懲罰で監禁され、慈善学校に押し込まれるジェイン・エアと、屋根裏に軟禁されているロチェスター夫人のバーサは、表裏一体の存在。愛し合う男女が障害を乗り越え、思いを貫く物語ではない側面が見えてきます。名作は、読まれる時代によって浮かび上がってくる部分が違ってきますね」

『ウーマン・トーキング ある教団の事件と彼女たちの選択』
ミリアム・テイヴズ 訳/鴻巣友季子
レイプ事件は当初「悪魔の仕業」「作り話」などとされていた。
「女性が性被害にあったとき女の方に非があるような反応は今もある。どこかかけ離れた遠い場所の話ではありません」。角川文庫
2冊目の『ウーマン・トーキング』はボリビアでの実話を基にした物語。ある宗教団体のコロニーで大量レイプ事件が起き、犯人はコロニーの男たちだと判明します。女たちは、何もしないか、闘うか、村を出て行くかを話し合うことに。
「M・アトウッドの『侍女の物語』とも共通しますが、女たちは文字の読み書きを禁じられている。コロニーの規範になっている聖書にも直接アクセスできず、聖職者や長老を経由するしかありません。その女たちが徹底的に言葉で対話するわけです。小説は、その議事録を男たちからは弾き者にされているひとりの男性が書きとめたという体裁をとっています。これは卓抜したアイディアですね」

『翻訳する私』
ジュンパ・ラヒリ 訳/小川高義
「グッときたのは『エコー礼賛』の章。ナルキッソスの後を追うエコーのように、翻訳者も原作に惚れ込みついていく。作家の死後も、新たな翻訳がエコーのように生き続けることもあります」。新潮社
3冊目の『翻訳する私』は作家ジュンパ・ラヒリの翻訳論。ラヒリはベンガル語を母語とする両親のもとロンドンに生まれ、幼い頃アメリカに渡って英語を生活言語として育ちます。『停電の夜に』などの英語の作品で瞬く間に成功を収めたものの、今度はイタリアに渡ってイタリア語で作品を書き始めます。
「亡命者や移住者のように政治的、経済的動機でなく、内的な動機で言語をスイッチした人。自分を表現する創作言語としてイタリア語を選んだんですね。その彼女が言わばあえて手かせ足かせをかけて書いた翻訳論です。異言語を使うことはその社会の永遠の客人であることで、ネイティブには決してなれない。そこにむしろ非日常感と解放感のきらめきがあることは私も感じます」
どれも女性の生き方に言葉が深く関っている翻訳書3冊。質の高い日本語で読めるのも幸せなことかもしれません。
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