辻仁成さんのおうちに子犬がやってきた!愛犬・三四郎が辻親子に届けてくれた、やさしい時間

作家・ミュージシャン・映画監督として多彩な才能を発揮し、フランスを拠点に活躍する辻仁成さん。エッセイや小説を通じて、人生や愛、孤独について深く問い続けてきた辻さんが、最新刊『犬と生きる』(マガジンハウス)を上梓しました。本書には、ミニチュアダックスフンドの「三四郎」が辻家の一員となってから約3年間の記録が、辻さんの優しいまなざしで綴られています。
愛犬・三四郎との暮らしを通じて見つめた「家族」のかたちや人々との交流、そして言葉を超えて通じ合う絆。やんちゃな三四郎に振り回されながらも、その無邪気さに癒やされ、成長を喜ぶ。本書に描かれた、そんな温かな日々のエピソードを抜粋し、3回にわたってお届けします。
※本企画は、辻仁成さんの『犬と生きる』(マガジンハウス)からシリーズ3回でご紹介します。
三四郎がやって来る。それだけで、辻家の雰囲気が変化した
1月某日、三四郎が我が家に来ることになった、と息子に伝えたところ、反響があった。
忘れもしない、八年前、彼が10歳になったばかりの頃、ぼくと二人きりの生活が始まってまもない頃のことだ。学校からの帰り道、小さな息子はぼくに向かって、「パパ、お願い。犬を飼って」と言い出した。
「ぼくはずっと犬が飼いたかったんだ。二人より、家族が増えると楽しいでしょ?」
「そうだね。考えておくね」
考えておく、と言ったものの、ぼくは飼うつもりはなかった。子供を育てるので精いっぱいで、とてもじゃないが、そこに犬の面街などみられるわけがない、と思っていた。

愛犬の三四郎(以下、すべて辻仁成さん撮影)
ところが、息子はあと、五日で18歳になる。そして、いよいよ大学生だ。
その直前、不意に今度はどこからともなく、三四郎がやって来ることになった。つい、 三日前にはその存在さえ、知らなかった、というのに…。
天から降ってきたような話で、実はまだぼく自身実感がない。あの子を抱いたし、三四郎と名付けたし、あとは20日に彼を引き取りに行けば、その日から我が家に三四郎が来ることになっているのだけど、信じられないのである。
今朝、息子のコロナウイルス抗体検査をしに行く道すがら、三四郎との出会いなどを少し話した。ヘー、という感想が戻ってきただけだった 。
そして、夕食のあと、不意に息子が、喋り出した。何か、抑えきれないものが溢れ出るような感じで、つまり、やっと点と線がつながり、現実を理解できたのに、違いない。犬が我が家にやって来るという現実が…。そのことを息子はぼくの妹のような存在でもあるいとこのミナにまず知らせた。母親がわりのミナから「うれしい」と連絡が入った。彼女の家にも子犬が二匹(麦と月という名前のキャバリア)がいて、夏になると息子はミナのところでその子たちの世話をした。だから、息子の心の中には、幼い頃からずっと子犬がいたのである。
一方的にいろいろと話す息子、うれしいんだな、とぼくは思った。

この日記を読み続けてくださっている皆さんはご存じのように、受験問題がぼくと息子との間でくすぶり続けており、最近はほとんど会話もない状態が続いていた。
そこに来て、三四郎がぼくらの間をつなぐような感じで、出現したのは、神様のいたずらであろうか、それとも、ご褒美…。
ぼくは、これから一人で生きていくと決意をしたそのタイミングで三四郎が現れたことを、偶然とは思いたくない、いや、思えない。
これは本当にご縁としか言えない。
そしたら、予期せず、息子が何か二人で生き始めた頃のことを思い出し、ぼくらの溝がちょっと埋まるような感じになった。
「なんで、三四郎っていう名前にしたの?」
「三四郎ってね、ぼくが昔、好きだった小説のタイトルなんだよ」
「どんな小説?」
「九州の田舎から東京に出てくる青年の話だ」
「じゃあ、一緒だね。三四郎もパリにやって来る」
「その通り、最初はパパの小説の主人公にしようと思ったんだけど、でも、なんでか、会いに行く道すがら、頭の中に、三四郎という名前が浮かんで、離れなくなった。そしたら、もう、あの子は三四郎以外にはありえなくなった。出会った時、三四郎、と心の中ですでに呼んでいたんだ」

息子が苦笑する。ぼくが思い込みの激しい人間であることは重々承知の助であった。
「けれども、ちょっと、フランス人には難しい名前だな」
「関係ないよ。パパの子だから」
「そうだね。辻家はパリの中の日本だものね」
息子は三四郎を撮影したいと言い出した。
いろいろと空想が広がっているようで、勝手なことを喋っていたけれど、実際に、三四郎が来たら、その圧倒的な存在感の前に、彼の中でも革命が起きるに違いない。これまでとは違った家族の在り方が始まるはずだ。
月曜日に、なかなかおしゃれなペットショップを見つけたので、出かけてみたい。そんなぼくのことを息子は、くすくすと微笑んで見ている。
犬は家族をつなぐ生き物なのだ、と思った。
※本稿は『犬と生きる』(マガジンハウス)より一部を抜粋・編集したものです。
愛犬・三四郎との愛情溢れる日々を綴った1冊、大好評発売中!

犬と生きる
パリ在住の芥川賞作家・辻仁成が、愛犬・三四郎との出会いや、ともに暮らすことの豊かさについて綴った、『パリの空の下で、息子とぼくの3000日』(マガジンハウス)のその後の物語。
著者が主宰するWebマガジン「Design Stories」で連載されたコラム「JINSEI STORIES」(2022年1月~2024年9月掲載分)を抜粋・再構成。さらに、装画を含む全てのイラストレーションを著者自身が手がけ、愛犬・三四郎のカラー写真も掲載。
『犬と生きる』(マガジンハウス)
1,980円
PROFILE

辻仁成/つじひとなり
作家。1989年『ピアニシモ』で第13回すばる文学賞を受賞。97年『海峡の光』で第116回芥川賞、99年『白仏』の仏語版「Le Bouddha blanc」でフランスの代表的な文学賞であるフェミナ賞の外国小説賞を日本人としてはじめて受賞。『十年後の恋』『真夜中の子供』『父 Mon Pere』他、著書多数。『父ちゃんの料理教室』『パリの"食べる"スープ 一皿で幸せになれる!』など、料理に関する著書にも人気が集まる。現在、パリとノルマンディを往き来する日々。
画像提供/マガジンハウス