伊藤弘了/いとうひろのり
映画研究者・批評家
複数の大学で映画の講義、雑誌やWebへの寄稿、映画の見方の講演などで活躍。’21年7月初の単著『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)を上梓。
Short essay :
「映画が教えてくれる日常の美」
時代小説家の池波正太郎のエッセイのなかに「長く映画を観つづけている人は、きまってお洒落のセンスがいい」という記述がある。当時、大学生だった僕は半信半疑で読み流していたが、やがてその意見に同意するようになった。
僕に「お洒落」の何たるかを教えてくれた筆頭は小津安二郎の映画だ。従軍経験のある小津は、戦地にあってこの世の悲惨を目の当たりにしたはずである。しかし戦後の小津は、彼自身が「泥中の蓮」と呼んだところの、不浄で醜い現実のなかにあるつつましく美しい存在を描き続けた。
小津映画の特徴は圧倒的な画面の美しさにある。ずば抜けた審美眼を持つ小津は、俳優はもちろん、背景を飾る絵画や小道具類に至るまで自分の眼鏡にかなった一流のものだけを採用し、それらを厳密に配置して撮影に臨んでいた。構図のアクセントとして置かれた赤色の小物類は日本家屋の持つ美しさを引き立てている。小津のホームドラマは、日常に潜む「美」を教えてくれるのである。
エッセイストの中野翠が指摘しているように、小津映画の女優たちが身にまとう着物も見事だ。原節子、淡島千景、田中絹代、岩下志麻といったスター女優たちに小津自身が選んだ着物を着せている。僕のイチオシは『彼岸花』(1958年)で山本富士子が着ている浦野理一の着物である。
文/伊藤弘了 写真/久保田千晴