【辻仁成さんインタビュー/前編】人生後半戦、愛犬との出会いで「幸福度」があがり性格にも変化が

犬を愛する人はもちろん、大切な存在とともに過ごす時間を慈しむ人々からの共感を集め、話題となっている新刊『犬と生きる』(マガジンハウス刊)。作家、ミュージシャン、映画監督として多彩な表現を続ける辻仁成さんが本書で綴ったのは、愛犬・三四郎とのかけがえのない時間を通して見つめた「家族」と「愛情」のかたちです。
無邪気で小さな相棒に振り回されながら、その存在に支えられ癒やされるパリでの暮らし。本書に込めた想いや、辻さん自身の人生観の変化についてお話を伺いました。前後編の前編をお届けします。
息子さんの独り立ちを見据えての「子犬大作戦」、 家族として「犬」を選んだ理由
僕は父親が保険会社に勤めるサラリーマンで、転勤を繰り返す生活でした。なので、家族みんな犬好きでしたが「犬を連れて全国を回るのは社宅だしちょっと難しいよ」と言われて、飼うことは諦めたんですね。
それで、次は息子(当時10歳)と2人暮らしを始めたときに、「パパ、お願い。犬を飼って」と彼から言われるんですけど、僕は「考えておくね」と言ったままにしたんですね。当時の僕は子供を育てるだけで精一杯で、とてもじゃないけど犬の面倒まではみられないと思っていたので。「自分が諦めたときがあり、子供に諦めさせたこともあって「犬とは縁がないかな」と思ってきました。
でも、息子が高校生になり、こちら(フランス)では大学生が社会に出る準備のために、18歳くらいからみんな一人暮らしをして巣立つことに気づいて。彼が高校2年生になったとき、「ああ、もうこの子出て行っちゃうんだな」と思ったんです。

三四郎も息子くんに懐き、まるで兄弟みたいな仲良し。 ※辻仁成さん撮影、以下同
僕には友達やスタッフさんはいるけど、これまで毎日ご飯を作っていた生活は無くなってしまう。世話好きですから、何かしてないと、きっと駄目になるなと。
そんなとき、ふと「犬と生きる」ってどうなんだろうと考えたんですよね。当時60代になった頃でした。
その後、コロナ禍時期のロックダウンの終わり頃。ノルマンディーの海辺に家を買って暮らしていたある日、浜辺を歩いていたら一匹の犬が走ってきて、すれ違う瞬間にバーン!と衝撃が走ったんですよ。「これはやはり犬だな」と感じたそのとき、知り合いから「引き取り手のいない子犬がいるんだけど」と連絡があって、僕はすぐさま紹介してもらったブリーダーに電話をかけました。
フランスでは犬の露天販売が禁止されていて、ブリーダーからしか買えないんです。しかも審査も厳しくて、ブリーダーさんからは「誰でも彼でも売らないよ」と言われました。でも、「これからこの犬の寿命の間は頑張れると思うので、ぜひ売ってください」と覚悟を伝えたんです。そうして、頭にちょっと怪我の跡があって売れ残っていた子、三四郎と出会いました。

ただ、飼ったはいいんですが、やはり犬を育てるということは大変。朝早く起きて散歩に連れて行って、ご飯も食べさせなければいけない。ピッピ(おしっこ)とポッポ(うんち)をさせて、それを拾わなければいけない。建物の敷地内でピッピしているとガーディアン(管理人)さんに怒られたり、ちょっとリードを引っ張るだけでも、動物愛護の精神の強い国なので誤解されて「犬を丁寧に扱いなさい」って言われたり。
犬の体に対する気遣いやケアも、どこまでやればいいのか初めは分からなかったんですが、ドッグトレーナーさんと出会って彼らから学び、勉強もして、今では犬についてはかなり詳しくなりました。
子供が家を出て1人になった世話好きな僕が、犬を通して人生を丁寧に生きるということを学ばせてもらっている、そんな感じで今3年目に入ったというところでしょうかね。

三四郎と過ごすようになって知った自身の新たな一面や変化とは?
三四郎と出会ってからは、生活が大きく変わりました。子育てとはまた違う意味で、「犬を育てる」というのもとても良い経験なんですね。
言葉を喋らない分、何を感じているのか、何を伝えたいのかをこちらが考えてあげなければならない。お腹が空いているのかな、遊びたいのかな、具合が悪いのかな……そんなふうに、最初の1年は毎日が三四郎中心の生活で、まさに“三四郎一色”という感じでした。
でも、3年経つと僕もずいぶん慣れてきて、彼自身も人間でいえば成人くらいの年齢になり、いろんなことがわかるようになってきたんです。今ではお互い無理をせず、一緒に過ごせるようになりました。
最初は正直、犬は外から汚いばっちいものを持ち込んでくるんじゃないか思っていたんです。でも実際は、犬って意外と清潔で。昔はバクテリアやウイルスが怖くて神経質になっていたんですが、三四郎と過ごすうちに、そういうことにも少しずつ耐性ができてきました(笑)。

僕は、友達や知り合いはいっぱいいるけど、親友となるとなかなか……。人間関係があまり得意ではないというか。
それに、絵でも小説でも没頭するタイプで、創作中は神経がすごく立ってるんですが、そんなときでも犬が足元にいるだけで、不思議と和むんですよね。だから最近は、仕事の締め切りに追われていても「ちょっとぐらい遅れてもいいかな」「三四郎の散歩に行こうか」って思ったりして(笑)。
今は三四郎がそばにいて、ちょっと穏やかになったのかなと思います。

あと、犬は喋らないし、「こうしなさい」と命令しても、すぐにはできない。ある程度できるんですけど、それを優しく分からせてあげるのは、自分の努力しかないっていうことがわかって、犬を育てることで忍耐強くもなりましたね。
そして、幸福度が上がりました。家族の中に犬がいれば、誰かが支えないといけないので、「子は鎹」というけれど、犬もやっぱり人を繋いでいくことになるんじゃないかな。息子も大学に行ってからは三四郎に会うために帰ってくる、みたいになって(笑)。犬はみんなをすごく繋いでくれていると思います。

僕自身、人間にとって孤独はすごく大事だと思っていて、人は死ぬまで一人だということを、ちゃんと認めて、受け止めて、それでも抱えて生きていくことが人生なんじゃないかと。寄り添ってくれる人がいたり、離れていく人がいたり……いろいろあると思うんですが、そういう人生を生きていく中で、犬が自分に幸福というものを与えてくれるということに気づかされました。
今までいったい、何に対してこんなに苦しい思いをしたんだろうというくらい、犬が自分に笑顔を持って来てくれることがわかって。
辛いときは彼も辛い、僕が落ち込んでいるときは横にお尻をくっつけて寄り添ってくれる。嬉しいときは「触ってくれ」とお腹を見せてくるわけです。犬はしゃべらないし、幸せだ不満だと言わないけれど、しっぽを振ったりうれションしたりするから、この子が今、何を思っているか、態度で分かるんですよね。それはやはり人間として嬉しいこと、そういうものがあるというのは幸せなことです。
※後編に続きます。

辻仁成/つじひとなり
作家。1989年『ピアニシモ』で第13回すばる文学賞を受賞。97年『海峡の光』で第116回芥川賞、99年『白仏』の仏語版「Le Bouddha blanc」でフランスの代表的な文学賞であるフェミナ賞の外国小説賞を日本人としてはじめて受賞。『十年後の恋』『真夜中の子供』『父 Mon Pere』他、著書多数。『父ちゃんの料理教室』『パリの"食べる"スープ 一皿で幸せになれる!』など、料理に関する著書にも人気が集まる。現在、パリとノルマンディを往き来する日々。

犬と生きる
パリ在住の芥川賞作家・辻仁成が、愛犬・三四郎との出会いや、ともに暮らすことの豊かさについて綴った、『パリの空の下で、息子とぼくの3000日』(マガジンハウス)のその後の物語。
著者が主宰するWebマガジン「Design Stories」で連載されたコラム「JINSEI STORIES」(2022年1月~2024年9月掲載分)を抜粋・再構成。さらに、装画を含む全てのイラストレーションを著者自身が手がけ、愛犬・三四郎のカラー写真も掲載。
『犬と生きる』(マガジンハウス)
1,980円
取材・文/松永加奈