辻仁成さん話題の犬エッセイ。犬好きさんはもちろん!「だれか」を愛し、日常を大切に生きる人皆が共感

作家・ミュージシャン・映画監督として多彩な才能を発揮し、フランスを拠点に活躍する辻仁成さん。エッセイや小説を通じて、人生や愛、孤独について深く問い続けてきた辻さんが、最新刊『犬と生きる』(マガジンハウス)を上梓しました。本書には、ミニチュアダックスフンドの「三四郎」が辻家の一員となってから約3年間の記録が、辻さんの優しいまなざしで綴られています。
愛犬・三四郎との暮らしを通じて見つめた「家族」のかたちや人々との交流、そして言葉を超えて通じ合う絆。やんちゃな三四郎に振り回されながらも、その無邪気さに癒やされ、成長を喜ぶ。本書に描かれた、そんな温かな日々のエピソードを抜粋し、3回にわたってお届けします。「辻仁成さんのおうちに子犬がやってきた!愛犬・三四郎が辻親子に届けてくれた、やさしい時間」に続き、連載第二回目です。
※本企画は、辻仁成さんの『犬と生きる』(マガジンハウス)からシリーズ3回でご紹介します。
つ 、ついに、三四郎がお外で初ポッポ。感極まる父ちゃん!
2月某日、とってもいいことがあったので、ご報告をしたい。かねてから、三四郎には乗り越えないとならない至上命題があった。それは、外でピッピ(おしっこ)とポッポ(うんち)が出来るようになることだ。今まで、ピッピは二度お外で出来たが、いまだポッポは成功していない。我慢して、我慢して、家に戻るとおしっこシートに辿り着く前に、出ちゃったァ、という感じで、パパしゃんに怒られてばかり。とはいえ、犬を飼うのが初めてのぼくには、教え方もわからない。あの手この手で指導しながら、毎日、一緒に散歩しているのだが、成果はなし。もしかしたら、この子はお外では出来ないわんちゃんなのかしら、自分を人間だと勘違いし、外でなんか出来るわけないでしょ、と思っているのかもしれないなァ、とか諦めモードに入っていた父ちゃんだったが、… 。

愛犬の三四郎(以下、すべて辻仁成さん撮影)
今日、セーヌ川河畔近くの歩道で、不意に動かなくなった。
「行くぞ。三四郎」
リードを引っ張ろうとしたら、あれ、あれ、お尻が浮いとらん?
ぼくは口をつぐみ、素知らぬ顔で、見守ることにした。お、ややや、ありゃ、出てるじゃん。ちょっと身体をひねって、三四郎のお尻の方を覗き込んだら、おおお、やっぱ出てる~。し、しかし、メトロの出口の真ん前、めっちゃ目立つ場所だったから、通行人が笑いを必死でこらえながら、通り過ぎていく。いや、そんなこと父ちゃんはぜんぜん気にならないのである。だって、お外でうんちが出来たんだもの、やっと犬としての正しい行動がとれたことで、ぼくは胸を撫でおろし、次の瞬間には、「ばんざーーい、三四郎~、おめでとう」と叫んでいたのだ。しかも、特大のポッポが4本。4本である。ぼくが笑顔で、ポッポ用ビニール袋(この日がいつ来てもすぐに取り出せるように常に携帯していたのだ)を取り出し、つまんで、くるりんと結んで天高く持ち上げると、太陽さんが、よかったね、と祝福してくれた。

ちゃんとお外でポッポが出来たので、ぼくは彼の大好物のサーモンのおやつを取り出し、ご褒美に一つあげた。しゃがんで、頭を撫でて、よくやったね、えらかったね、と教えてあげると、三四郎は尻尾をふって、こたえていた。
それは、息子が初めて自分で立ち上がった日の感動に似ていた。人間も犬もやっぱり生き物で、一つ一つ、こうやって学んでいくのである。それはぼくの人生も一緒で、62歳になった今でも、ぼくは毎日、生きることの意味を学んでいる。学ぼうとしている。おめでとう、三四郎。
ぼくらは行き交う人々をぬって、公園まで行き、いつものように、一緒に走った。太陽がまぶしかった。風はまだ少し冷たかったけれど、春を予感させる草の香りを含んでいた。
ジャン・フランソワのカフェに行き、カフェオレを注文して、温まった。
三四郎はぼくの腕の中で、眠っていた。その時、交差点の向こう側を一人歩く、あの人が見えた。数日前に、愛犬のミニチュアダックスフンドの老犬がいなくなった、と大騒ぎしたご近所の年配の紳士である。どうも、まだ探しているようだ。見つからないのかもしれない。胸が痛んだ。その痛みを埋めるために、ぼくは三四郎を抱きしめた。

買い物をしてから、家に戻り、灯りをつけ、掃除をした。息子が戻ってくる前に、息子の部屋もちょっと片付けてやった。今夜はカツカレーにするので、仕込んだ 。
息子が戻ってきたら、三四郎が外で出来たこと、を教えてやらなきゃ。
ありふれた何気ない一日だったけれど、うれしいこともあり、切なくなり、ぼくは今日もこうやって生きている。
おごらず、丁寧に、大切に、生きていこうと誓うのであった。
※本稿は『犬と生きる』(マガジンハウス)より一部を抜粋・編集したものです。
愛犬・三四郎との愛情溢れる日々を綴った1冊、大好評発売中!

犬と生きる
パリ在住の芥川賞作家・辻仁成が、愛犬・三四郎との出会いや、ともに暮らすことの豊かさについて綴った、『パリの空の下で、息子とぼくの3000日』(マガジンハウス)のその後の物語。
著者が主宰するWebマガジン「Design Stories」で連載されたコラム「JINSEI STORIES」(2022年1月~2024年9月掲載分)を抜粋・再構成。さらに、装画を含む全てのイラストレーションを著者自身が手がけ、愛犬・三四郎のカラー写真も掲載。
『犬と生きる』(マガジンハウス)
1,980円
PROFILE

辻仁成
作家。1989年『ピアニシモ』で第13回すばる文学賞を受賞。97年『海峡の光』で第116回芥川賞、99年『白仏』の仏語版「Le Bouddha blanc」でフランスの代表的な文学賞であるフェミナ賞の外国小説賞を日本人としてはじめて受賞。『十年後の恋』『真夜中の子供』『父 Mon Pere』他、著書多数。『父ちゃんの料理教室』『パリの"食べる"スープ 一皿で幸せになれる!』など、料理に関する著書にも人気が集まる。現在、パリとノルマンディを往き来する日々。
写真提供/マガジンハウス